特別展  縄文ー1万年の美の鼓動(2)

縄文時代は旧石器時代が終わったおよそ1万3千円前から、約1万年続いた時代を指す言葉である。縄文時代と呼ばれたのは、土器に施された縄文文様から来ている。縄文時代の始まりに少し遅れて、地球の氷河期が終わりを迎え、日本列島は温暖で湿潤な安定した気候に変わり、現在と同じ景観や四季が整った。当時の人々は、この多様な自然環境を巧みに利用し、狩猟や漁労、そして植物採集などを基本的な生業として竪穴住居に暮らし、定住性の高い生活を送った。この時代の造形物は「縄文時代の土器」など、「縄文」の名前が付けられる。第1部では国宝や、著名な文化財を取り上げたが、本稿では、もっと様々な生産品を取り上げ、縄文時代の「美」に迫りたい。

微隆起線文土器 青森県六ケ所村 表館(1)出土 青森県郷土美術館

表館遺跡は縄文時代草創期から後期の集落遺跡である。放射線炭素年代測定によって1万6千年前と測定された世界最古級の無文土器が出土した遺跡で、旧石器時代終末期から縄文時代草創期の遺跡が点在する。この土器は、文様が巧みに描き分けられ、稚拙さは微塵も無い。縄文土器の原点でありながら、すでに1万年に及ぶ縄文美の器の到達点がここにある。図録では「はじまりの美の器」と呼んでいる。

漆塗注口土器 北海道八雲町野田生1遺跡出土 縄文時代(後期) 八雲町教育委

注ぎ口をもつ器が登場するのは縄文時代草創期からと言われるが、この土器が縄文社会に定着し大きな役割を果たすのは後期以降になってからである。この土器には漆が塗られ、瓢型をなし、頭部には口を設け胴部に注ぎ口を付けている。器面全体に赤い漆が塗られ、下部の黒に映え、艶やかな光沢を放つ。注ぎ口土器は日常使いだけでなく儀礼や葬送の場でも用いられたと考えられている。本例は東北地方から北海道へ持ち運ばれたものとされ、注ぎ口土器が、ときに交易品としての役割を担ったことを示している。図録では「艶やかな朱漆で塗られた注ぎ口土器」とされている。

重文 木製編籠 縄文ポシェット 青森市三内円山遺跡出土 青森県教委

縄文時代の容器といえば土器が代表例であるが、そのほかにも木器、樹皮や植物の繊維を編んで作られた籠や袋などの編み物が用いられていた。本品は、教科書でもお馴染みの山内円山遺跡から出土した「縄文ポシエット」と呼ばれる縄文時代の編み物製品で、特に著名で、中にはクルミの殻が残されていた。縄文時代の編物製品は、素材の特性を活かし作られた道具そのものの美しさを備えている。

重文尖頭器長野県南箕輪村神子芝遺跡出土 旧石器時代末期~縄文草創期 伊奈市

黒く輝く石は長野県和田峠の黒曜石、乳白色や黄白色の石は新潟県以北の玉髄や頁岩、鈍く光る鼠色の石は岐阜県湯が峰の下呂石、色も産地も異なる多彩な石が、石器の原料として使われれている。石器は石を繰り返し打ち割ることにより作り上げるが、その内割り作業は時には数百回にも及ぶ。旧石器時代から縄文時代への幕開けを飾る石器は、1万年を経てなお色あせない輝きをはなつている。

重文 漆塗櫛 埼玉県岡川市後谷遺跡出土 縄文時代(後期) 桶川市教委

飾櫛としての櫛には、縦長の竪櫛と横長の横櫛がある。竪櫛は縄文時代に出現し、古墳時代まで確認することができる。一方で横櫛は、古墳時代から現代まで普及する。櫛はその形から活発な活動に適さず、結った髪に挿した装飾性の高い飾櫛であった。そのため当初は死者を飾るために造られていたが、縄文時代後期以降は櫛歯数を増やすことにより、動いても落ちにくいものへ変化し、死者から生活を飾る道具として考えられている。この後谷遺跡の櫛は木製であり、漆で固めたものである。女性が祈りの場などで身に付けたと考えられている。

重文 土星耳飾 調布市下布田遺跡出土 縄文時代(晩期) 江戸東京たてもの園

土星耳飾りは、耳たぶに穴を開けて嵌めこむものであり、縄文時代の後期以降に普及する。そのなかでも晩期の関東地方では、ほかの地域に較べかなり精巧な土製耳飾りが多い。このような耳御飾りは土偶にもよく表現されている。そのなかでも縄文時代の土製耳飾りでは最大級の大きさを誇り、精巧な透かし彫りを持つものに下布田遺跡から出土したものがある。この耳飾りは、滑車型耳飾りとも呼ばれ、その側面が滑車に似ていることから名づけられた。樹脂に混ぜた赤色顔料を塗り上げている。花弁にもたとえられる優雅な透かし彫りは美しく、縄文人による珠玉の名品である。

深鉢型土器 長野県富士見町藤内遺跡出土 縄文時代(中期) 井戸尻考古館

本例は縄文時代中期の勝板式の深鉢形土器で、「区画文筒型土器」とも呼ばれる。口縁部の一部を掻くが略完形であり、住居跡の床から押しつぶされるような状態で横たわって出土した。数ある類例の中でも白眉の土器として知られる。口縁部から底部に垂加する隆線によって器面全体を縦に五つに区画されており、筒型の形状と相まって縦長の意匠を凝らしている。この土器のような文様は「パネル文」と呼ばれているが、こうした文様には縄文があえて組み合わされない傾向にある。そうした傾向は次の曾利式土器へと受け継がれ、更に加飾性の強い土器が生み出される言動力となる。

深鉢形土器 市川市堀の内貝塚出土  縄文時代(後期)

縄文時代後期になると立体的な装飾性は影をひそめ、沈線によって構図を描く文様が重用される。この土器は大正から昭和初期に活躍した市井の考古学者上羽貞幸氏によって堀之内貝塚から採集された。器形は底部から口縁部まで反って立ち上がる朝顔形である。口縁部は波状をなし、その頂部に環状装飾をもつ突起を四単位付す。波頂部から刻み目を持つ隆帯を垂加することで、同部を四区分に分けている。区画の中央には沈線で描く渦巻文を縦につなぎ、この周囲を傾きの異なる並行斜線を組み合わせた綾杉文で満たす。器の素直な形に渦巻文と綾杉文が見事に調和した美しさを備えている。美術書にも収録される著名な縄文土器である。

両頭石棒  愛知県豊川市田町字大橋出土 縄文時代(後期)~弥生時代(前期)東京国立博物館

石棒は男性性器を象徴する儀礼用の代表例である。男性器を表現した石棒は、縄文時代前期に出現し、中期には数が増加して1mを超す巨大なものも造られた。それが後晩期に入ると、細くて小さなものに変化し、粘板岩のように緻密な石材が利用されるようになる。石棒は最終的には壊され、火に投じて廃棄されることが多く、元の形をとどめているものは少ない。

深鉢土器 長野県伊那市宮の前出土 縄文時代(中期) 東京国立博物館

岡本太郎(1911~96)が昭和27年(1592)、「みずゑ」誌において「縄文土器論 四次元との対話」を展開し、それが後の創作活動において縄文時代の造形から大きく影響を受けたことは一般によく知られた話である。ここで取り上げる土器は、その論文冒頭で岡本に「縄文土器の荒々しい不協和な形態、文様に心構えなしにふれると、誰もがドキッとする。なかんずく爛熟した中期の土器の凄まじさは言語を絶するのである」と評され、写真に掲載された縄文土器のうち東京国立博物館所蔵品である。いわば岡本が衝撃を受けつつも真正面に向き合い、自身に執り込もうとした「縄文式原始芸術」である。岡本は「縄文土器の最も大きな特徴である隆線文は、激しく、鈍く、縦横に奔放に躍動し展開する。その線を辿って行くと、もつれては解け混沌に沈み、忽然と現れ、あらゆるアクシデントをくぐり抜けて、無限に回帰し逃れて行く」と論ずる。

 

縄文時代の土器や装飾品や実用品を紹介したが、第1部の「国宝・重分類」に比較して、全く譲らない美を見せるから不思議である。「縄文ー1万年の美の鼓動」を楽しんで頂けたであろうか。最後の岡本太郎氏の「みずゑ」の論評が最後を締めくくる最良の言葉であろう。

 

(本稿は、図録「縄文ー1万年の美鼓動   2018年」、図録「土偶展 2009年」を参照した)