生誕300年記念  若冲  「丹青活手妙通神」

若冲に大きな影響を与えたのは、相国寺の梅荘顕常(ばいそうけんじょう)大典禅師である。大典は、安永3年(1772)、滋雲院に戻り、同8年(1779)相国寺第113世の住持に昇った。幕府より朝鮮修文職に任ぜられ対馬以酊庵(いていあん)に赴任している。この地で李氏朝鮮との間でやりとりされる外交文書の解読・作成や使節への対応を司った。大典は、当時の最高の知識人であったのである。もう一人の人物は、月海元昭(げっかいげんしょう)である。異色の禅僧であり、精神の高貴さを求めて黄檗宗(おおばくしゅう)であることを止めてしまい、敢えて人の卑しむ茶売りとなった。売茶翁は、若冲が相国寺に献納した「動稙綵絵」12巻を、宝暦10年(1760)に一見して、同年11月冬至の日に、「丹青活手妙通神」(たんせいかっしゅのみょうかみにつうず)(丹青活手の妙、神に通ず)の一行書を、若冲に与えた。時に元昭86歳、尊敬茶禅両道の陰士から得たこの言葉に感激した若冲は、七文字をそのまま朱文長方形の印章に彫って、自らの励みにした。この印は遊印として画面に押した。(署名とは離れた場所に押してある。)

売茶翁像(ばいさおうぞう) 伊藤若冲作  宝暦7年(1757) 個人蔵

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天秤棒で煎茶道具を担って右側を見返る姿で描かれているのは黄檗僧(おおばくそう)、月海元昭(げっかいげんしょう)こと売茶翁高遊外(こうゆうがい)である。売茶翁は肥前蓮池に生まれ、幼時に出家して龍津寺の化霖(けりん)の弟子となり、万福寺での修行を経て龍津寺に戻ったが、化霖の遷化を契機に法弟に寺を託して京都に上った。折々に茶具を担って相国寺の円通閣や東福寺の天通閣などの名勝で茶を売った。まさに高く外に遊んだ売茶翁の生き様は、当時の京都の文化人たちに敬愛され、大典や若冲も深い親交を持った。若冲は、数多くの売茶翁の肖像画を描いている。

一行書 丹青活手妙通神  売茶翁作    宝暦10年(1760)

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(たんせいかっしゅのみようかみにつううず)と読む。売茶翁が若冲に与えた書である。小林氏は相国寺蔵としているが、福士雄也氏は「宮内庁三の丸尚蔵館」としている。いずれが正しいかは、図録では判読できない。若冲は尊敬する売茶翁から得たこの賛辞に感激して、七字句をそのまま朱文長方形の印章に彫って、自分の励みにした。研究者によれば、現在確認できる若冲の作品で、この印を押印しているのは4作品のみであるそうだ。多分、若冲としては一番気に入った作品にのみ捺印したのであろうと推察する。「動稙綵絵」3面、その他1面である。では、その印の押印してある作品を見てみよう。

蓮池遊漁図 「動稙綵絵」の一部 伊藤若冲作   江戸時代(18世紀)

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この光景は水中で眺めているのか、水上から見下ろしているのか、いつの間にか視覚が移動している。中国の蓮池図に基づくのだろうが、複数の視点を混在させた明(みん)の藻魚図(そうぎょず)にも有りえない空間である。池中を泳ぐのは、アユとヤマベだが、蓮の咲く池のような魚が住むとは思えない。動稙物の生態の正確な再現については、若冲は驚くべき無関心である。この図には若冲の造形を特色づける「無重力性」と「正面凝視」とが最も典型的にあらわれている。兎に角、奇妙な絵であり、記憶に残る。

牡丹小禽図 「動稙綵絵」の一部 伊藤若冲作   江戸時代(18世紀)

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若冲の執拗な描写意欲が、この目のくらむような複雑混沌の空間に仕立て上げられている。細密描写の極で、殆ど空間が無い。確かに右側中央側面に印「丹青活手・・・」がある。小禽二羽が美しい。(この図は「動稙綵絵」の項で説明済)

池辺群虫図 「動稙綵絵」の一部 伊藤若冲作   江戸時代(18世紀)

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夏のたそがれどきの庭の一隅に、若冲の知る限りの虫が集められた。50種類を超すそれらの一つ一つは、かたちや色彩の特徴が、こまやかな観察によって忠実に描かれている。眼は漆の盛上げという丹念さである。彩絵の中でも、若冲のいう「真物」に即しての写生をもっとも徹底させた作と言えよう。応挙の「昆虫写生帳」、曙山の「写生帳」にわずかに先行して、このような昆虫図譜的性格を持つ作品が試されたことの意義は大きい。

百犬図(ひゃくけんず) 伊藤若冲作   江戸時代(18世紀)個人蔵

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59匹の仔犬を描いた、まさに犬尽くしの作品である。注意を要するのは、この「百犬図」は、「動稙綵絵」の掛軸と、縦横共に同じ寸法であり、使用された絹地も全く同じものである。私は、この「百犬図」は、「動稙綵絵」の一環として構想された可能性があると思う。この絵に、若冲が「丹青活手・・・」の印章を押印しているのは、余程自信のあった作と考えられる。近年の研究は、この絵の込められた意味について二つの要素を見出している。一つは吉祥性で、多くの犬が描かれるという意味での「百狗小図」(ひゃっくしず)か「百小図」(ひやくしず)と音読することから、これが犬の持つ安産、多産のイメージと結びつき、子孫繁栄を寓意するとの解釈である。今一つは禅宗との関連で、犬のくわえる葉・箒(ほうき)を暗示するモチーフであると解釈して、仔犬と箒によってそれぞれ趙州(じょうしゅう)禅師と寒山を示しているとする見解である。私は、後者に魅力を感ずる。

 

丹青とは絵画の意味である。従って丹青活手とは、絵を描く素晴らしい手という意味であり、その手の描く絵の妙が、神に通ずると解釈できる。恐らく、若冲は、常日頃尊敬している売茶翁から、このような賛辞をもらい、大変嬉しかったと思う。だから、この書の印を作り、自分の気にいった絵に捺印したのであろう。「遊印」という形で、署名とは異なる場所に捺印した。その作品が4点とは気付かなかった。なお、遊印とは「筆者の好む数字以内の字句を印章にしたもので、鎌倉時代に題賛の肩などに押され、それが絵画にも応用されて画面の余白部に”落款印章”とは別に押される」(日本美術辞典より)。特に「百犬図」は晩年の作であるから、余程気に入ったのであろう。

なお、今回販売された図録について一言意見を述べておきたい。「生誕300年記念 若冲」は、極めて多彩な記事(辻惟雄、小林忠、有馬管長、太田彩一三の丸尚蔵館主任研究員、ジョー・プライス、安村敏信、山下祐二、狩野博之、渋谷雄一、ユキオ・リピッド、猪子寿之、福士雄也、岡田秀之、村田隆志)各氏の渾身の解説が書かれ、恐らく「若冲研究書」としても超一流の研究書であると思う。手元に置いて、今後の若冲の参考書として扱いたい。解説を担当された諸先生に厚くお礼申し上げたい。ただ1ケ所、保管場所として、「三の丸尚蔵館」と「相国寺」に別れた記述があったので、総合監修を辻先生か小林先生に務めて頂きたかったと思っている。日経新聞の5月14日号(土)の春秋欄では、「もはや若冲は、北斎と並んで日本を代表する画家の一人になった」と述べている。正に”活手の妙は、神に通ず”である。」(本稿は、フジテレビの5月7日に放映された「美の巨人たち」で「百犬図」が取り上げられたので、後から追加で書き足した原稿である。若冲展については、これで終わりとする。)

 

(本稿は、図録「生誕300年記念 若冲」、図録「皇室の名宝Ⅰ2009年)、辻惟雄「若冲」、野間清六他「日本美術辞典」を参照した)