生誕300年記念 若冲 プライス・コレクション

米国のジョー・プライス氏は、日本美術とは縁もゆかりもないオクラホマ出身の一人のエンジニアであったが、ニューヨーク・マジソンの古美術店で一点の掛軸に出会った。それは景和と署名された墨絵の「葡萄図」で、1953年(昭和28年)のことであった。プライス氏は墨だけで表現された「葡萄図」の自然の美しさに惹かれたのである。ジョー・プライス氏は図録で「23歳の私がニユーヨークで若冲作品と初めて出合った60数年前の感動は、今でも昨日のことのようにはっきり覚えています」と述べている。その後、若冲を中心として江戸絵画の優品を収集、保護し、プライス・コレクションと呼ばれる一大コレクションを作りあげた。このコレクションは2006年(平成18年)の里帰り展や、2013年(平成25年)の東日本大震災復興支援のコレクション展の開催を通して、日本美術の新たなファン層を拡大した。私は、東日本大震災復興支援コレクション展の開催を新聞やテレビで観て、是非拝観したいと強く思ったが、このコレクション展のみを観るために仙台へ行くことも憚られ、遂に拝観できなかったのが、大変残念であった。今回の若冲展で思いがけずプライス・コレクションを拝観する機会に恵まれ、大変感謝すると共に、若冲について大きな問題点にも気づいた。

葡萄図  伊藤若冲作  江戸時代(18世紀) プライス・コレクション

img654

この葡萄図を見て、若冲のファンとなったプライス氏(当時28歳)の鑑賞眼の確かさに驚いた。この葡萄図は葡萄のフォルムに自由な動きが出て来ており、節くれ立った蔓を交叉反転させた力強い表現など、その印象が強い。若冲の水墨画が、習作的要素を無くし、より奔放な主観的表現へと向かう秀作である。(景和は、若冲作品にの内、40歳代を中心に「藤氏景和」という印章を使用した作品が12作品ある。内「動稙綵絵」には6作品がある。)

雪芦鴛鴦図(せつろえんおうず)伊藤若冲作江戸時代(18世紀)プライス・コレクション

img655

厳冬の池畔に凍着する雪と、無心に遊泳する一つがいの鴛鴦を題材とするこの図は、透徹した間隔がすみずみまで行き渡り、若冲の幻想詩の結晶と呼ぶにふさわしい。自己の絵画世界をすでに確立し終えた若冲にとって、動稙綵絵の構想はごく自然に浮かんできたのであろう。

紫陽花(あじさい)双鶏図 伊藤若冲作江戸時代(18世紀)プライス・コレクション

img656

「動稙綵絵」に先行する他の作品に較べて、色彩が濃厚に感じられるのは、その入念な絵具の使い方によるのであろう。複雑な顔料と染料の併用の仕方が本図では見られる。紫陽花の花の描写は、同じ形の花びらが並んで平面的にも見えるが、花びらの青色は二種類の群青が用いられ、一つの花の中で、大小の花びらが入り交じり、外側を向いて描かれるものもある。「若冲の鶏」と言われる得意の図柄である。

虎図  伊藤若冲作  宝暦5年(1755) プライス・コレクション

img657

前脚をかがめる姿がユーモラスで、猛獣のイメージではない。家業を弟に譲って、絵師の道に専念することを決意した宝暦五年の首夏(陰暦四月)に描かれたことが落款により明確な、若冲の作品の中で重要な一点である。本図が京都。正伝寺(お庭が美しいことで有名)に伝わる「猛虎図」を手本として描いたことが知られる。なお、この正伝寺の作品は当時、北宋画家・李龍眠と伝えられていたが、近年の研究では朝鮮李朝時代の作品ではないかと考えられている。

鳥獣花木図(ちょうじゅうかぼくず)六曲二双屏風伊藤若冲作江戸時代(18世紀)

img658

img659

若冲は「動稙綵絵」を完成させたのちに、通称「モザイク屏風」と呼ばれる、特殊なデザインを施した作品群を残している。プライス・コレクションには有名な「鳥獣花木図屏風」二双を含んでいる。この屏風の桝目は、一双通じて8万6千個有る。各枡の一辺は1.1cmある。細かな桝目の一つ一つには、2度または3度、時には4度の重ね塗り、重ね描きがしてある。一つ一つ創意を込めた、無限の変化を持つこの桝目描きは、驚くべきものであり、それがこの屏風のマチェールを、日本の顔料の陥りやすい平板な塗りから救い、より重厚で変化に富んだものにしていることも指摘しておきたい。辻氏は次のように指摘している。(概略)「プライス・コレクション本は、数多くの動物(74種類)が描かれている。色彩モザイク屏風は色彩なしでは語れない。色彩の基調となるものは、赤、青、緑、白の4色であり、これに赤、黒、黄およびすべての中間色が加わって、豊かな階調を織りなしている。右隻の白象の背に敷かれた織物は、その上に坐す普賢菩薩を暗示している。それは、この図と仏教との深いつながりを思わせるものである。この屏風の制作年代については、この屏風に描かれた三種の動物ーロバ、チンパンジー、ヤマアラシは、若冲77歳にあたる寛政4年(1792)に長崎から舶載され、その都度絵師がスケッチしたものによっている。従ってこの屏風は、若冲最晩年に制作されたことを物語る。」この作品とほぼ同じ図柄の「樹花鳥獣図屏風」が、静岡県立美術館に保管されている。なお、この辻説に対しては反対論もあるが、それは別途論じたい。

 

このプライス・コレクションは全部で9図もたらされているが、主要なものは以上の説明でほぼ尽くしたと思う。私たちは、高校時代の歴史で、江戸の文化の花は元禄年間と文化・文政期(化政期)と教えられ、私は今まで、そのように理解していた。しかし、この私たちの江戸文化に対する理解は、大きく替えることが求められていると思う。むしろ、江戸文化は前期、中期、後期の三つに区分して捉えるのが適当であると、現在の日本文化史は語っている。それぞれ17世紀、18世紀、19世紀にほぼ対応する。そして中期の文化は、後期の文化と切り離し、それ自体独立して考察されるべきである。絵画で言えば、18世紀は若冲と蕭白、大雅と蕪村、応挙と芦雪らが次々と新奇の試みを打ち出したのが京都画壇である。同時期の江戸は、晴信から清長、春章、歌麿から初期の北斎に至る浮世絵師たちが錦絵や絵本を競い合っていた。江戸中期こそが江戸美術史の黄金時代であり、中でも京都画壇の重要性は高い。これは絵画のみではなく、文化全体、いや政治史も含めて、江戸中期こそ、更に深く研究することが必要である。(佐藤康宏氏の論文による)

佐藤氏は、プライス・コレクションの「鳥獣花木図屏風」に対して、非常に厳しい意見を述べている。「プライス・コレクションの”鳥獣花木図屏風”は絶対に若冲その人の作ではない。若冲の描く緊張感に富んだ形態はまったくなく、すべてゆるみきって凡庸なである。プライス氏の屏風の配色は平板で抽象的な模様を作るだけで終わっている。工房作というにはあまりにも若冲画との落差が大きいので、稚拙な模倣作というべきであろう」。辻氏の意見を採用するか、弟子の佐藤康宏氏(東京大学教授)の意見に耳を傾けるべきか判断に迷う。山下祐二氏(明治学院大学教綬)は「僕は真作であると断言できる。8万6000個以上の桝目一つ一つに絵具を充填していくという途方もないことをする人は、若冲の他には考えられない。この作品は一種の仏画であり、若冲は写経をするような心持ちで、1枡1枡を塗りつぶしていったと僕は考えている。」

私は屏風を見た瞬間に白い部分が多く、若冲作にしては「保管状態が悪い」と直感した。しかし、プライス・コレクションには秀作が多く、プライス氏が偽物を掴むということも考え難く、やはり若冲の真作と考えたい。しかし、若冲の老齢から考えて、工房(現在4名の弟子の名前が明確になっている)の手伝いもあったかも知れないと考えている。むしろ山下氏の「仏画」「写経」という言葉に魅力を感ずる。キリスト教の「天地創造図」の影響を述べる意見がある。屏風の右端、左端に樹木の幹が描かれているのは、非常に珍しく、「天地創造図」の影響を考える人もいる。一種の宗教画という意見には、耳を傾ける必要があるかも知れない。この桝目を埋める作風は、私はフランスの点描派の走りのように感ずる。19世紀末の新印象派の100年前に、若冲は既に点描を試みていたのであろうと思う。正確には、銅板画の影響による「筆触分割」と呼ぶべきかも知れない。

さて、これまで若冲を3回に分けて連載したが、確かに若冲は素晴らしい美しさである。それは無条件で認める。しかし、初日の4月22日の開館前に並び、グッズ類を買うまでに4時間を要したことは、あまりにも若冲ブームの行き過ぎであると思う。勿論、東京では「釈迦三尊像」と「動稙綵絵」が同侍に公開されるのは、初めてであり、それにプライス・コレクションまで並ぶのだから、相当の混雑は予測していたが、それにしてもこの混雑振りはひどすぎる。若冲ブームが過激でありすぎると思う。それは肝心の「動稙綵絵」を宮内庁が保管しており、めったに見られないということが根本にあるのでは無いだろうか。明治政府の行き過ぎた「古社寺いじめ」が、根本の原因であると思う。法隆寺の小金銅仏のように東京国立博物館(もしくは京都)に寄託してはどうか。いろんな機会に見ることが出来ると思えば、こんな馬鹿げた混雑は招かずに済むと思う。

 

(本稿は、図録「生誕300年記念 若冲」、図録「皇室の名宝12009年」、図録「若冲と蕪村  2015年」、辻惟雄「奇想の系譜」、「奇想の図譜」、「若冲」、小林忠他「若冲の描いた生き物たち」、佐藤康宏「伊藤若冲」、田中英道「日本美術史全史」、「日経大人のOFF2016年1月号」、日経新聞「2016年4月16日 生誕300年記念 若冲」を参照した)