畠山記念館   天下人の愛した茶道具

チラシ

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450年前、財力も軍事力も失い、台頭する武士たちに実権を渡さざるを得なかった京都の天皇家、それを取り巻く公家や寺社に唯一残された「武器」は、八百年来培ってきた文化であった。王朝時代から守り伝えられてきた和歌、管弦、有職故実のような優美艶麗な教養は、刀一本でのしあがってきた武士群には眩しく、手の届かないものに見えたに違いない。しかし、茶の湯という新しい文化の体系は、その中に旧世代の公卿たちを招き入れ、文化の力で対等に戦うことのできる、武士のための「土俵」であった。茶の湯は新しい文化であると同時に、古い文化にも敬意を払っていることを示すものでもあった。天下人と呼ばれた信長、秀吉、家康はいずれも茶の湯に没頭し、彼らは「黄金と侘び」の世界を出現させた。今回の展示は、「天下人の愛した茶道具」を展示する試みである。

重要美術品 井戸茶碗 銘 信長           朝鮮時代(16世紀)

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織田信長の所有によって、「信長」の銘を持つこの茶碗は大井戸に属し、李朝の早い時期の作と思われる。細やかな貫入、大小の気泡も存在し、口から胴腰にかけて薄造りで手取は軽い。高台はやや小さいが、端正な姿、高台脇から内にかけて梅花皮(かいらぎ)が廻って景色となっている。口には黒漆で修複した跡が残っており、長い間大切に使われてきたことが知られている。             伝来 織田信長ー京極高次ー豊臣秀吉ー古田織部ー淀屋茶庵ー招甫ー丸亀京極氏   伝来は華やかな歴史を持っている。

ととや茶碗  銘  隼(はやぶさ)        朝鮮時代(16世紀)

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「ととや」は斗々屋・魚屋などと書き、その名の由来は、利休が魚屋から見出したものとも、堺の豪商魚屋に伝来した茶碗であったからとも言い、諸説があるが、定かではない。一般にととや茶碗は、椀形に近い深めの本手ととやと、平茶碗形の平ととやに大別される。この茶碗は、小振りの朝顔形で轆轤目が細かく廻っている。口縁は少し反り気味になっており、一部に土切れが生じている。高台脇から腰にかけて幅広く削り出し、ととやの見所である縮緬皺(ちりめんじわ)が出ている。「隼」の銘はきりりと引き締まった俊敏な姿からの連想であろう。小堀政体の書付によると、かっては茶箱に仕組まれていたが、箱を取り捨てたことが窺える。

古瀬戸肩衝茶入  銘 円乗坊(えんじょうぼう)   室町時代(15世紀)

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京都本能寺の僧で、利休の女婿である円乗坊宗円が所持していたことから「円乗坊」の銘が付いた。織田信長は、天正10年(1582)に起こった本能寺の変において落命するが、その際にこの茶入も罹災、宗円が焼け跡から拾った後、肌身離さず携行したと言われる。この逸話を物語るかのように、挽家をおさめるふすべの革の袋には長緒が付いており、茶入には疵や貫入などの痕跡が認められる。安永元年(1772)五百両で松平不昧(出雲国七代藩主)の蔵に収まった。なお、不昧公は、これを「大名物之部」に収めている。(「宝物之部」に次ぐ名品)

書状  千利休筆                桃山時代(16世紀)

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「今朝の雪に私方へお尋ねくださらないのは、大ぬる山ではありませんか。それとも例の方がおられるなら致し方ありませんが」と、それとなく嫌味をいいながら是非来てほしいと誘っている。おそらく茶会への招待であろう。文中「大ぬる山」は懶惰の意味で、当時の流行語であったのであろう。宛名の牧村兵部は桃山時代の武将で名は利貞。織田信長や豊臣秀吉に仕え、秀吉の馬廻衆を勤めた。文禄の役には舟奉行に任ぜられ活躍したが、朝鮮で病没した。キリシタン大名として著名な一方、茶の湯をよくし、利休七哲の一人に数える。本品は古来より「大ぬる山の文」と称された著名な利休書状である。                     伝来  加賀前田家ー亀田是庵ー菅池家ー畠山即応

国宝遠寺晩鐘図(えんじばんしょうず)伝牧谿(もっけい)南宋時代(13世紀)

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遠寺晩鐘は中国山水画の画題として北宋の頃成立したと考えられる瀟湘八景の一つである。中国湖南省・洞庭湖の南、瀟水と湘水の二水が合流する辺りの勝景を描くもので、わが国では牧谿・玉澗の二者が瀟湘八景図の双璧と言われ高く評価されてきた。本作は横になびく二条の光の中、厚い煙霧に包まれた寺院の甍と木立がわずかに姿を見せる。全面に淡い墨を刷き、わずかな墨調の変化によって光と湿潤な大気とを観る者に感じさせる傑作である。牧谿の作品は、多く日本に伝わり、足利将軍家などのコレクションに収められた。本作は画面左隅に「道有」の鑑蔵印を有し、足利義満の愛贓品として知られる。所謂、「東山御物(ひがしやまごぶつ)」である。                                 伝来 義満ー松永久秀ー織田信長ー徳川家康ー紀州徳川家ー前田家

天命責紐窯(てんみょうせめひもかま)       室町時代(16世紀)

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天明釜は、下野国阿蘇郡天明(現栃木県佐野市)から産出した釜を指す。その特徴として、肌が無肌で、無文・肩衝・面取・段などの複雑な形状に、線や筋が入っているという形姿の面白さが挙げられる。責紐とは、貴人に茶を献上する際、蓋と鐶付を紐で結んで封印するために、鐶付が口際に付けられた名称である。蓋の摘みが笠松の形をしている。                           伝来  足利義教ー豊臣秀津次ー徳川家康ー紀州徳川家

重要文化財 竹林山水図 伝 夏珪(かけい)筆   南宋時代(13世紀)

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足利義教が所蔵した山水の名品である。いわゆる東山御物(ひがしやまごぶつ)である。画面右下では、驢馬に乗った高士がお供を従えながら水辺をゆっくり歩いている。しなやかな夏珪の「夏」の文字、右上に義教の鑑蔵印「雑華室印」がある。

梅に山鳥図屏風(部分)  伝狩野山楽筆       江戸時代(17世紀)

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狩野山楽(1559~1635)は豊臣秀吉に仕えた武士木村永光の子で光頼といい、永徳に学んで狩野姓を許された。山楽と号し、常に狩野家を援け、桃山時代の代表的画家である。狩野宗家の光信が江戸に移ったので、京都を代表する狩野家の祖となった画家である。画面を飛び出すような勢いのある巨木表現や、切り立った荒々しさに狩野派らしい筆致がうかがえる。絵の背景は豪華な金箔で、金雲がもこもこと漂う様を表現している。秀作である。

唐物茶壺  銘  十五夜           明時代(15世紀)

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茶壺とは文字通り、お茶を保管する壺である。家康が大阪夏の陣の際に忠臣に与えた茶壺である。胴の釉薬の色合いやなだれが微妙で、下部の土肌には轆轤目(ろくろめ)が見える。口に被せている口被(くちおおい)の裂地(きれじ)は花菱文金襴である。

色づき始める苑路

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畠山記念館の秋の苑内の写真である。紅葉が色付き始めた頃であった。

 

天下人に愛された茶器類を展示した企画であり、流石に見事な展示物であった。旧い友人と、久方振りに畠山記念館を訪れ、美味しいお茶を喫する機会となった。畠山記念館は、お抹茶に特化した美術館であり、入場者も限定される。年配のご婦人が多いことも特徴である。しかし、お抹茶は、年配のご婦人の独占物ではない。来年4月~6月に、東京国立博物館で、室町時代から近世までの茶の湯の歴史の特別展「茶の湯」が予定されている。これは1980年の「茶の美術展」から37年振り、また400年忌を期して開催された「千利休展」以来27年振りとなる。更に東京国立近代美術館では、千利休の意を体して楽茶碗(らくちゃわん)を生み出した、楽家歴代の名碗を紹介する「茶碗の中の宇宙 楽家一子相伝の芸術」が3月~5月に開催される。ここまで来ると、「老婦人の趣味」とは言っておられない。すべての美術愛好家が、来年は「お抹茶と関連する美術」に興味を集中する年となる予定である。私も、楽茶椀を2ケ所有し、毎日妻とお抹茶を戴くことを楽しみにしている。来年の3月~6月には、お抹茶の芸術を堪能したい。今から期待で胸が膨らむ。

 

(本稿は、図録、「与衆愛玩 壱」、図録「与衆愛玩 畠山即翁の美の世界」、図録「大名茶人 松平不昧公の数寄」、日経新聞2016年11月12日「プロムナード 歴史の地図をつくる 橋本麻里」を参照した)