畠山記念館  生誕150年 原三渓ー茶と美へのまなざし(1)

明治、大正そして戦前の日本美術コレクターであり、茶の湯も愛好された横浜の実業家・原三渓(1868~1939)。今年が生誕150年を迎える事を記念して、畠山記念館が所蔵する原三渓旧蔵の書画や工芸品約50点を、一挙公開をした。国宝1点、重要文化財6件、重要美術品6件を含む三渓コレクションと関連資料を通して山渓のまなざしに迫る企画である。三期に分けて展示され、私は中と最後の2回拝観した。構想としては、やはり全部3回とも見るべきであったことを残念に思う。あまり内容が多いため、今回は珍しく2回に分けて連載することにした。

布袋図  尾形光琳筆             江戸時代(18世紀)

光琳は布袋図を愛好し、蹴鞠をしている姿、馬に乗った姿など、様々に描いている。寿老人・大黒天も多く、めでたい絵として当時の人々に好まれたことがわかる。本図は、光琳晩年の作として知られる。宗達風のゆったりとした描線、衣に見られるたらし込みの手法などには余裕が感じられる。布袋の口の速い筆づかいなど、軽妙洒脱な味わいもある。大きな頭の複副しさ、温かくユーモラスな表情、がっしりとした足取りの悠々とした姿は、明るく親しみの感じられる絵である。

重文  春景山水図  横川景三賛        室町時代(15世紀)

山間に閑居する高士を友人が誘う様子を描いた図で、室町時代の五山僧に好まれた題材である。無落款であるが、従来、周文の弟子である岳翁蔵丘の作となされてきた。前景には大きく斜めに描かれた松があり、従者をつれた人物が歩いている。楼閣には高士らしい人の姿が見られ、後景には岩壁が聳え、更に遠方の山がかすんでいる。樹木や岩駿などの調所に濃墨の線を使用しており、また淡彩を賦して早春の雰囲気を伝えている。賛を書いた横川景三は、相国寺・南禅寺に住し、明応2年(1493)没。散文に勝れ、小補と号した。箱書きは狩野探幽である。

国宝  禅機図断簡  印陀羅筆 礎石梵琦賛   元時代(14世紀)

禅宗祖師や禅僧と参禅者の問答を描く禅機図のうち、李渤・智常の対面を描く一図である。江州の地方官吏であった李渤は、大変な読書家であっあたが、ある時「維摩経」の「芥子粒に須弥山を衲れる」という語をどうしても理解することができず、深く帰依する帰宗智常禅師を訪ねて問い、はじめてその意味を悟ることができたという、禅会の場面を描いている。本図と同一の画巻から切断されたと見られる断簡が「寒山拾得図」・「布袋図」等4点現存している。この禅機図鑑の制作は礎石が中天竺寺に住した元末の至正年間(1341~)頃と考えられている。印陀羅の作品はすべて禅宗関係の人物画であり、濃淡墨を対照的に用いて粗放に表現し、枯淡で素朴味を帯びつつ、奇々飄々たる独自の境地を示している。

重文 継色紙  伝小野道風筆         平安時代(11世紀)

「継色紙」は「枡色紙」・「寸松庵色紙」と共に「三色紙」と呼ばれ、古筆の中でもとりわけ珍重されている。「万葉集」や「古今和歌集」などの古歌を集めた未詳私選集の断簡である。料紙はさまざまな鳥の子の染紙を用いている。「色紙」と呼ばれているが。もとは粘葉(でっちょう)装の冊子本であった。和歌一首を見開の二頁にわたって書写し、方形の料紙を二枚継いだようにみえるため、この名で呼ばれる。1頁には「反首切」と呼ばれた。本品は、薄茶治の鳥の子の染紙に「古今和歌集」巻第二十・東歌の和歌一首を詞書や作者名を記さずに、歌のみを上の句と下の句に振り分けてそれぞれ四行に散らし書きする、ゆったりとした筆運びを基本に、一点一画すべての線が緊張感を持ち、軽妙かつ力強い書風である。文字の配置に工夫のあとが見られ、独自の散らし書きの構成力にも一段の冴えを見せている。筆者は小野東風(894~966)と伝えるが東風の自筆仮名が確認できないため確証はない。

赤楽茶碗  銘李白   本阿弥光悦作     江戸時代(17世紀)

能書家として知られる本阿弥光悦(1558~1637)の作陶活動は、元和元年(1615)鷹ケ峰に庵住するようになって以降のことと考えられている。楽第二代状慶や参代道入らの協力を得て、土を取り寄せたり、釉がけや焼成を依頼しての作陶はあくまでも素人の趣味的要素が強く、それゆえに鋭い感覚の生きた造形美を造り出している。このたっぷりした筒茶碗は「加賀光悦」「富士山」等に共通する作行きで、低い高台からほぼ直角に腰を張り、同部はやや開き気味に真直ぐ立ち上らせている。口縁の鋭い箆使いや、平に削られた見込も特徴的である。赤土に透明釉がかかり明るく発色しており、胴に丸くたまった釉が景色となっている。楽旦入の添状が備わり、内箱蓋表には「光悦茶碗」とし、裏には「李白 山渓(花押)」と書付けがある。

古瀬戸肩衝茶入  銘 畠山             室町時代(15世紀)

「畠山」の銘は閑事庵宗信の「雪間草茶道或解」によると、京都の畠山辻子で一条宗貞が北野天神社参詣の帰りに、これを求めたことに由来するという。口造りの甑は低く、捻り返しはなく、肩は一文字にきっかりと強く張り、腰で急にすぼまっている。裾から下は金氣色の土見であるが、総体に掛かる光沢のある黒褐色釉は天目風で厚く、随所に禾目の窯変が見られる。ざんぐりとした粗い糸切底で、手取りはずっしりと重い。伝来は、加賀前田家や原三渓を経て畠山記念館に伝来した。惹家の上蓋と箱、替蓋の箱書付は小堀遠州である。

青織部菊香合                桃山時代(17世紀)

蓋の甲に九弁の菊をあしらったこの香合は、「雲州蔵帳」の上之部に収められ箱書には松平不昧筆で「織部焼きく香合」としるされている。又、蓋裏に三渓の署名が認められる。愛らしい円型で釉を削り取って表された菊が、くっきりと白い土の色を見せている。合口までかけられた織部釉の濃淡も美しい。織部釉は酸化銅で、黄瀬戸の胆盤が発達したものだが、この香合では薄い所は透明な緑色、濃く溜まった所は表面が青く光って、移り変わる美しさを見せている。

由鉾香合   尾形乾山作            江戸時代(18世紀)

原三渓翁の箱書きで、左右にそれぞれ「春」「ゆいほこ」と記されている。前者は京都の祇園会の鉾に結いつけて吊るした飾に因んで名づけられた。乾山の香合では鑓梅の香合が名高いが、ゆいほこ香合は他に類品を見ない独特のものである。球形に近い形に、自由に箆目を入れ変化をつけ、香合の切れ目、甲に付けられた把手などが力強く、温かさを感じさせる。淡い色の地には、銹絵の幹枝と白土の梅に、紅と黄をあしらって白梅一株が描かれている。底は無釉で、銹絵の「乾山」の銘がある。

絵瀬戸割高高台茶碗  元鬢(げんびん)       江戸時代(17世紀)

すっきりと胴を立ちあがらせ、口縁を少し反らせている姿は端麗で、品のある筒型茶碗である。御深井釉と呼ばれる透明度のある淡黄色の釉がかかり、平に削られた見込には釉がたっぷりとたまり、ガラスのような青緑色を呈している。大振りな高台は無釉で、内部は削らず十文字に割ってある珍しい作りである。胴側面に一方に鯉に水草、他方に一群の笹が鉄絵具で描かれ、釉の景色と相まって趣深い。李朝鉄絵の影響を思わせることもあってか原三渓は内箱蓋裏に「元鬢」と張り紙している。陳元鬢(1587~1671)は明の亡命者で、尾張徳川家藩主徳川義直に厚遇され、瀬戸焼、特に徳川家のお庭焼である御深井焼を指導し、釉の改良を行った人物である。

出雲茶碗  倉崎権兵衛作            江戸時代(17世紀)

出雲焼は、出雲松江藩の御用窯として倉崎兵衛重由によって創窯された。権兵衛は朝鮮渡来の陶工を父に持ち、萩で生まれ育ったが、延宝5年(1677)松江藩主松平綱隆よりかねてから陶工招請があったことを受け、助手二名と共に出雲に移る。松江市東郊の楽山に窯を開いた。元禄7年(1694)に没するっまで作陶を行い、また技術者の養成にもあたった。その作風は朝鮮の焼物の影響が強く、伊羅保写・高麗写を得意とした。この茶碗も和陶にない大らかな作行きで伊羅保に似て薄作りであるが、大胆に箆を使い釉がかかり面白い。箱蓋裏に「権兵衛」と三渓が書きつけている。

 

畠山記念館は、主として茶道と能の道具を集めた美術館であったが、絵画、屏風など様々な美術品を収蔵する美術館であることを確認した。従来、抹茶の茶碗を多く招介してきたが、今回は屏風、茶杓、水指など茶器を種類多く書くことが出来たのは、写真が入手できたからである。今までの、畠山記念館の記事とは、大分異なる記事となった。趣味を同じくする旧友Y君と、いずれゆっくりと鑑賞したいと思う。

 

(本稿は、図録「與衆愛玩  畠山即応の美の世界」、図録「與願愛衆 琳派」、図録「原三渓旧蔵の茶道具」を参照した)