畠山記念館  茶の湯の名品ー破格の美・即翁の眼 

今年に入って「茶の湯」に関する美術展が非常に多い。国立近代美術館「茶碗の中の宇宙 楽家一子相伝の芸術」(3月14日~5月21日)、東京国立博物館「特別展 茶の湯」(4月11日~6月4日)、出光美術館「茶の湯のうつわ」(4月15日~6月4日)等大型美術館が、「茶の湯」美術展を開催し、いずれも若い人達であふれている。一方、近代の数寄者ー畠山即翁の美術品を集めた「畠山記念館」は「茶の湯の名品ー破格の美・即翁の眼」(4月8日~6月18日)は、名品を展示しているのに、来客の数は少ない。私は、5月25日(木)の午前11時頃に入館したところ、せいぜい10名程度の入館者で、空いていた。今回は、創建者の畠山即翁の茶道具コレクションから、誰しも名品と認める極め付きの逸品が多く展示されていた。国宝、重要文化財も多く含まれていた。例えば、「重文 伊賀花入 銘からたち」など、破格の造形に特徴がある桃山茶陶を拝観できた。また生前の即翁が当館の展観で披露した茶道具も再現して並んでいた。近代最後の数寄者と言われた畠山即翁が愛した名品を通して茶の湯を考える好機であった。しかし、残念ながら拝観者は少ない。しかも、期間中「重文 竹林七賢人図屏風 雪村周継筆」を特別公開していた。何故、これだけの名品が揃っている、「茶の湯の名品」を拝観しないのか、私には理解できない。白金台で環境も良い。私の好みの美術館である。是非、一度足を運んで頂きたい。

国宝 林檎花図(りんごはなず)伝超昌(ちょうしょう)筆南宋時代(13世紀)

中国の花卉画で花木の一枝を画いたものを「折枝」と呼ぶ。林檎の花の一枝を描いた本図は古来北宋の折枝画の名手、超昌の作との伝承が付されてきたが、実際の制作は南宋と考えられ、南宋期院体花鳥画の洗練された様式を示す優品である。林檎の花はわずかに赤みを帯び、美しく開いたもの、ほころびかけたもの、まだ蕾の花はわずかに赤みの中に画き込まれている。超昌筆とされた画は日本の茶人に好まれ「君台観左右帳記」の中でも高い評価が与えられているほか、「宗湛日記」、「津田宗及茶湯日記」などの茶会記にも掛物として使用されたことが記され、茶人の間での高尚のほどが知られる。東山御物(ごぶつ)クラスの名品であり、千利休以前の茶人に愛好された作品であろう。

十二ケ月花鳥図の内(6月 百合・葵に雀)酒井抱一作 12幅絹本着色 江戸時代(18世紀)

抱一作品のなかに、十二ケ月花鳥図と呼ばれる十二図一組の作品群がある。各月にちなんだ花と鳥を十二図に描く十二カ月花鳥図のテーマは、伝統的な画題であり、狩野派や土佐派を中心に光琳、乾山らも手掛けている。抱一は琳派の伝統を基本としながらも、自由な十二ケ月花鳥の取り合わせを行い、自身の画風を生かした情緒豊かな作品を作り上げている。中でも私は、この6月の葵が好きである。この掛軸を掛けた茶会は、明るい茶会であったろう。

粉引茶碗 銘松平                 李朝時代(16世紀)

粉引は、白い釉膚があたかも粉を吹いたように見えることから粉引とも称された。三島や井戸と共に高麗茶碗としては古作に属する。しかも伝世品は少ない。作行はいずれも鉄分を多く含んだ黒土に白化粧を施し、その上に透明釉を掛けたものである。施釉の際に一部釉を掛け残し、黒い土層が笹の葉状に現れる景色を火間と呼び、粉引茶碗の重要な見所としている。銘松平は松江藩主松平不昧所持に因むもので、不昧はこれを大名物に列するものとして蔵帳に収録している。

紅葵花絵巻硯箱(こうきかまきえすずりばこ)尾形光琳作 江戸時代(18世紀)

二段重ねの身に深い被蓋の付く硯箱である。身の上段には硯・水滴・筆が備わり、蓋の両脇は大きく削られているが、身と蓋の文様は連続するように蒔絵が施されている。立葵と八重葎が底から生え出し、のびやかに全体を覆う大胆な意匠である。華やかな装飾効果となっている。

黄瀬戸胴紐茶碗(きぜとどうひもちゃわん)      桃山時代(16世紀)

もとは向付として作られたものであろうが、早くより茶碗として用いられている。玉縁の口造り、胴から腰にかけてはゆるやなかな曲線に仕上げられ、底部は浅く彫り込まれた碁笳底(ごけぞこ)である。胴の中央には箆によって刻まれた線が廻り、胴締と呼ばれているが、これにより器を一段と引き締めている。黄瀬戸茶碗の名品である。

赤楽茶碗 銘 早船 長次郎作          桃山時代(16世紀)

初代長次郎の赤楽茶碗である。長次郎七種に数えられる赤楽茶碗では、これが現存する唯一である。この茶碗は、薄作りで、口縁はやや内に抱え込み、胴はまっすぐで、腰のあたりは丸みを帯び、小さな高台が付いている。腰には幅広く箆目が二筋巡り、胴と腰との境界がはっきりしている。口縁から腰回りまでは長い貫入があり、黒漆の繕いを施している。赤土の素地に黄味を帯びた赭釉が掛かり、潤いのある艶を見せる一方、高台際は直接火を受けたかのようにカセている。胴から高台に向かって、山形に青鼠色の釉が流れて独特の景色をなしている。「早船」の銘は、利休が茶会のために高麗から早船で取り寄せたと語ったことに由来する。利休の書状が付属している。

重文 割高台茶碗(わりこうだいちゃわん)      朝鮮時代(16世紀)

割高台とは、文字通り高台の一部を切り落した茶碗のことである。十文字に溝を入れる例はしばしば見受けられるが、本件はかなり大振りの撥形(ばちがた)をしており、まず箆で円形の高台の四方を大きく切り取り、焼成後に畳付の十文字部分をさらに十字型に彫り込んだ珍奇なものである。手取りが重いための工作とも思われるが、そのエキゾチックな形状からキリシタンの洗礼用祭器と見る説もある。元古田織部所持と伝える。如何にも破格の美である。私の好みの逸品である。

重文 伊賀花入(いがはないれ)銘からたち    桃山時代(16~17世紀)

独得の焦げや釉色の変化に特徴がある伊賀焼の中で、その魅力を充分に備えた作品である。口部はふっくらと作り、縁を内側に曲げて姥口とする。頸部は左右に四方板耳を付け、前後に鐶付用の孔の跡があることから、この種の大きな花入も掛花入として茶席に用いられたことが知られる。裾広がりに作った胴部は、六角に面取りし、箆目を入れて区切っている。裾にも箆目が一周する。俗にビロード釉と称される自然釉が裾を残してほぼ全体に厚く掛りそこへ釜の中の灰や土が付着して鮮やかな褐色や緑色、黒く焦げた部分など、さまざまな景色を作り出している。私は、古田織部の匂いを感ずる。誠に伊賀焼独特の造形が加味され破格の美が備わった豪快な花入に仕上がった。口縁の一部が欠けて、その破片が胴に付着した様子を、「からたち」の棘に見立てて銘としたものである。長く加賀金沢の緒家を転伝し、昭和9年(1934)に畠山即翁の所有となった。私の最も愛する逸品である。

黒織部(くろおりべ)筒茶碗   黒部焼き     桃山時代(17世紀)

黒織部の茶碗は腰が張り、口が厚く帯状になった杏形が主であるが、本作は胴が長く歪んだ筒型の姿である。厚手の口縁を箆で削って起伏を持たせ、さらに一段張り出させ丈線を廻らしている。胴には轆轤目が見え、箆による大小の面取りや押し当てなどの技巧が施され、また腰部は張って広く八角形をなして安定もよい。見込みは深く、中央に円形の鏡が認められる。胴の文様は網干といって海岸で漁に用いる網を干している風景を文様にしたものである。黒と白とが醸し出す調べは現代絵画にも通じ、桃山時代の茶陶の底力を見せつける。

重文竹林七賢人(ちくりんななけんじん)図屏風雪村周継作室町時代(16世紀)   左隻                    右隻

中国の魏末・晋初の頃(3世紀)、竹林に集まって酒を酌み交わし、琴を弾じ、清談にふけった七人の陰士がいたという。彼らの姿は権力欲や物欲などを捨てたあるべき人間の理想の一つとして認識されている。中国では4世紀以降、この逸話を題材にした「竹林七賢人図」が描かれるようになり、日本では、他に等伯や探幽なども描いている。雪村周継は、室町時代末期の画僧である。常陸を中心に会津・小田原・鎌倉において活動し、晩年は三春(現在福島県三春町)に渡り、当地で没した。宋元画を学ぶ一方、日本水墨画の大成者、雪舟の画風を慕って大きな影響を受けた。本品や「呂洞賓図」(大和文華館蔵)などに見られる。力強い衣文線、個性的な表情の人物像に独自の画風が観取される。三春における雪村晩年の大作であった。なお、私は、この作品が展示されていることは知らず、現物を見て驚いた次第である。「雪村展」は、芸術大学でこの春に展覧していたが、残念ながら見学することが出来なかったが、ここで、大作にお目に掛かり、大変感激した。

 

この展覧会の副題である「破格の美・即翁の眼」を心行くばかり楽しめた2時間であった。室町時代の御物(ごぶつ)に入るような傑作をはじめ、「破格の美」とも呼ぶべき「伊賀花入 銘からたち」や「割高台茶碗」など、日常見られない傑作を見て、高揚した気分になれた。楽茶碗も良いし、「曜変天目」も素晴らしかったが(「茶の湯」展)、畠山記念館の「茶の湯の名品ー破格の美・即翁の眼」も素晴らしかった。この美しさ、この感動を、僅か700円で堪能できる幸せを痛感した。

 

(本稿は、図録「與願愛衆Ⅰ」、図録「松平不昧の数寄ー「雲州蔵帳」の名茶器」、図録「與衆愛玩ー畠山即応の美の世界」、図録「與願愛衆ー琳派」を参照した)