美の探求者 安宅英一の眼  安宅コレクション(1)

安宅コレクションとは、かって日本の十大商社の一角を占めた安宅産業株式会社が、事業の一環として約1,000点に及ぶ東洋陶磁コレクションを言う。その収集を一貫して推進し、指導し、厳しい眼をもって一点たりともゆるがせにせず、比類ないコレクションを築き上げたのが安宅英一氏(」1901~94)であった。安宅氏は昭和30年から40年まで同社の取締役会会長を務め、その後は相談役社賓として同社の取締役会会長を務め、その後は相談役社賓として会社の経営に参画された。しかし、その足跡は、むしろ美術品のコレクターとして知られている。安宅コレクションの母体である安宅産業は、石油事業の破綻から、昭和52年(1977)、伊藤忠商事株式会社との合弁という形を取ることによって事実上の崩壊に追い込まれた。安宅コレクションの帰趨は、国会でも議論されるほどの国民的関心を呼び、海外の愛陶家も注目の眼を向けていた。幸い、安宅産業の主力銀行であった住友銀行(当時)を中心とする住友グループ21社によって、コレクションのすべては、大阪市に寄贈され、散逸を免れることになった。大阪市はそれを受けて昭和57年(1982)、大阪市立東洋陶磁美術館を設立し、コレクションの公開を行っている。私は、今でも大阪へ行く機会があれば、東洋陶磁美術館を訪れ、安宅コレクションを鑑賞することにしている。この「安宅栄一の眼ー安宅コレクション」は、平成19年10月3日(2007)より三井美記念美術館で開催された展覧会であり、その図録を参考にして、本文を書き上げた。「美の求道者」と名付けられた安宅栄一氏の「安宅コレクション」の優品を集めた美術展であり、今でも図録を楽しく見ている毎日である。なお、東洋陶磁美術館にも「東洋陶磁の展開」と題する図録を販売しているが、この「安宅栄一の眼」の図録に込められた愛情は、比較にならない程大きく深い。

第一部  コレクションの形成期  第一期 草創期

青磁陽刻 蓮華文  梅瓶  高麗時代(12世紀前半)

高麗の梅瓶は、王宮や寺院用の高級容器としてつくられた。美しい釉色を通して陽刻による繊細な文様が浮かび上がるのは、この磁器の特徴である。全羅道唐津群沙堂里窯跡から同種の破片が出土している。

青磁象嵌 雲鶴文 水注  高麗時代(12世紀後半)

金属器の水注をモデルにしたものであるが、広い面に鶴と雲が大きく表されている。大空に浮かぶかのような雲と鶴は古くから描かれた画題であるが、高麗青磁の文様にも多用され、その美しい釉色を生かした表現となっている。

青磁象嵌 蝶牡丹文  浄瓶  高麗時代(13世紀)

鶴首瓶の祖型は越窯青磁や金属器、西方のガラス器などとも言われている。本来、蓋が付き、水などの液体を入れていたと考えられる。首がやや太く胴部はまん丸でずしりと重みがある。文様の配置も巧みである。

青磁象嵌  蝶牡丹文  浄瓶  高麗時代(13世紀)

浄瓶は浄水を入れる仏具で、観音菩薩の持物の一つでもある。青銅製のものがその祖型で、高麗では銀象嵌の青銅製浄瓶も知られる。蝶と牡丹を交互に配するなど精緻な文様構成がこの作品の大きな魅力である。

黒釉  瓢形瓶  高麗時代(13世紀)

青磁土にたっぷりと黒釉をかけるが、黒色や褐色など、さまざまな色の変化を見せている。黒釉の年代はまだよく分かっていないが、形は12~13世紀の青磁に通じ、同じ頃に焼かれたとみられる。

粉青掻落  牡丹文  梅瓶   朝鮮時代(15世紀前半)

小さな口を持ち肩部が膨らんだ器形を梅瓶という。15世紀になるとやや肩部の下がった造形になってくる。器面に施された白化粧を掻き落として、胴部の牡丹文や胴裾の連弁文が表されている。

粉青絵粉引  草花文  梅瓶  朝鮮時代(16世紀)

ロクロで瓶をひきあげた後、両面から押して胴を平に作る篇壷と呼ぶ。白土を溶かした液に器を浸して白一色とし、鉄絵具で簡略な草花を描くもので、全羅南道高與群雲岱里窯跡などで焼かれた。

草花    草花文       壺           朝鮮時代(16世紀)

胴部中央に余白をたっぷりとり、草花文がコバルトで描かれている。口縁部の外側には如意頭の文様帯が巡らされ、壺の形を引き締めている。

草花          葡萄文          盤         朝鮮時代(19世紀前半)

見込み中央に一房の葡萄が草花で濃淡をうまく生かして描かれ、水墨画のような巧みな表現となっている。周囲の広い余白によって葡萄の豊穣さが一層際立っている。

三彩刻花          花文       瓶      慈州窯系・金時代(12世紀)

唐時代の明器を中心に流行した三彩は、宋や遼、金時代でも引き続き造られた。首のやや長い造形や、簡素で大きめの花の文様表現は金時代の特徴と言える。華北地帯の慈州窯系の窯の製品と考えられる。

 

「安宅栄一の眼」は記憶に残る展覧会であった。まず、陶器のコレクションとしては世界最大と言ってもよい位、内容の充実していた展覧会であった。また、個人コレクシヨンでは無く、営利会社の法人としてのコレクションであり、かつ内容も素晴らしいものであった。中国・韓国の陶器コレクションは、日本に数多くあるが、法人のコレクションとは、他に類を見ない。勿論、石橋コレクションのように会社が資金を提供し、非営利法人を設立して、収集する事例は多いし、多分、大抵のコレクションは三菱にせよ、住友にせよ、非営利法人を作って、そこの活動としてコレクションを集めることは常識でもある。営利法人の事業、その営利法人が倒産した等話題になるケースであった。特に、安宅産業の社宅は、明治乳業の市川工場の社宅の近くにあり、個人的に親しい人もいた関係で、誠に他人事ではなかった。展覧会開催後、まだ13年しか経過していないが、何時しか遠い昔の出来事になってしまった。この展覧会の図録を見ながら、安宅英一氏の鑑賞願の鋭さに驚き、世界でも稀なコレクションとして、この展覧会を取り上げてみた。安宅氏の御永眠を祈る。

(本稿は、図録「美の求道者     安宅栄一の眼」、図録「東洋陶磁の展開」を参照した)