第1部 コレクションの形成 第二期 発展期
第2期は安宅コレクションの土台が固まった時期で、昭和29年から昭和40年までの12年間である。会社の規模も次第に大きくなり、経営も堅実に伸びて行った。コレクションの開始の昭和26年には資本金6千万円であったが、昭和28年には3億円、昭和31年には6億円、昭和32年には30億円になった。因みに、私が大学を卒業し、明治乳業に入社したのは昭和31年で、この発展期の真最中であり、明治もぐんぐん業績を上げ、会社は発展していた時期であり、乳業も上げ潮の時代であった。日本経済全体を見ると、昭和30年に始まる神武景気、昭和32年には一転してななべ底不況、昭和34年には再び岩戸景気を迎え、昭和40年には、戦後最大の証券不況であった。
重美 青磁彫刻 童女形水滴 高麗時代(12世紀前半)
愛らしい童女の姿に作った水滴である。蓮の蕾形の髷が蓋になっており、その部分から水を入れ、抱え持つ瓶が注ぎ口になっている。瞳のかすかな鉄彩や,衣服の繊細な模様が可憐さを際立たせる。
青磁彫刻 童子形水滴 高麗時代(12世紀前半)
大きさ、全体の作り、表現方法など、童女形水滴とほぼ同様の、同時の姿をした水滴である。注入口が器底部にあることと、注ぎ口が胸に抱かれた鴨の口であること等が異なる点である。
重美 青磁印花 龍文 方形香炉 高麗時代(12世紀前半)
中国の古代の青銅器で法鼎の器形を模したものである。また雷文など文様にも古代の青銅器に由来するものもある。これらの文様は印花で表されている。
青磁陰刻 蒲柳水禽文 浄瓶 高麗時代(12世紀前半)
浄瓶には仏前に清らかな水を捧げるための器で、高麗では日常の貯水器としても使われた。前後に春夏のシンボルである柳と葦、水鳥があらわされているが、高麗青磁には春夏を象徴する文様が多く見られる。
青磁象嵌 竹鶴文 梅瓶 高麗時代(12世紀後半9
象嵌とは文様を彫った後に白土や赤土などを埋め込み、白黒の色を加える技法。鶴は時形周りに「涙天」「啄胎」「警露」など中国古来の「六鶴図」に由来するポーズをとっている。
重文 青磁象嵌 海石榴華文 高麗時代(12世紀中葉)
重文に指定された3点の高麗青磁の一つである。文様の背景に白土を埋め込む逆象嵌という珍しい技法により、多産を意味する海石榴華の中央に、蔓をよじのぼる男の子を表し、多産への願いをこめている。
青磁象嵌 折枝文 水注 高麗時代(12世紀後半)
瓜形に作った胴部に、更に象嵌で文様を表した凝った意匠の水注である。肩にはたいへん細かい線刻の蓮華文が巡らされ,丁重な仕事ぶりがうかがえる。蓮華座に作った蓋には鳥形の紐がつく。
青磁象嵌 六鶴文 陶板 高麗時代(12世紀後半)
象嵌とは文様を彫った部分に白土や赤土を塗りこめて白黒に発色する技法。鶴は左から「顧歩」「涙天」「啄苔」「舞風」など中国古来の「六鶴図」に由来するポーズを取っている。
青磁象嵌 牡丹文 壺 甲羅時代(13世紀)
文様の大部分を白象嵌で表したために、連弁と牡丹葉の黒象嵌が効果的なアクセントとなっている。肩に四つ表された房のような文様は、壺の口を覆うための袱紗の房が文様化されたものと思われる。
青磁白堆 雲文 梅瓶 高麗時代(12世紀後半)
青磁白磁の大作は、他に類例を見せない。口縁と銅裾に白泥を塗り、肩と銅には絞り出しで、連弁と雲を描いている。絞り出しの不定形な線が、空にたゆたう雲の様子を見事に表している。
第2期の発展期の1部である。朝鮮陶磁が主力で、いずれも優品であり、これだけ朝鮮陶磁を集めた事例は少ないだろう。
(本稿は、図録「美の伝道師 安宅英一の眼ー安宅コレクション 2007年」、図録「東洋陶磁の展開」大市立東洋陶磁美術館を参照した)