鳥獣戯画  京都高山寺の至宝 甲巻

九州国立博物館の外観

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高山寺に伝わる平安、鎌倉時代の絵巻「鳥獣戯画」全四巻と、国内外に流失した断簡五紙が、すべて揃って出展される鳥獣戯画展は、2016年10月4日から、九州国立博物館で開催される。昨年、東京国立博物館で開催されたものと、同じであるがあえて、九州博物館まで見学に行き、再現した。鳥獣戯画と聞けば遊びに動物たちを描いた甲巻を思い浮かべるが、専門家たちがこれを「国宝中の国宝」とする理由も、甲巻の魅力に凝縮される。動物を擬人化し、彼らがさまざまな遊戯や儀礼に興ずる様子を描いている。物語は右から左へ進む。絵巻物に付きものの「詞書き」は無い。「日本美術が大陸文化を模倣し、発展してきたことは間違いないが、この見事な擬人化と融通無碍(ゆうづうむげ)な面白さは中国にはまねの出来ないもの。建前重視の中国美術ではこうした戯画は少ないし、あっても価値はないとされます」(東京大学東洋文化研究所教授板倉聖哲氏)。戯画の名を冠しているが、これは単に「戯れ描いた」と理解するのは大きな誤解である。各巻の画風もだいぶ異なる。丙、丁巻などはラフなスケッチ風にも見えるが、よくよく画面を観察してみると確かな技量を持った人物によって描かれたことが窺える。この絵巻は少なくとも「戯れ」に描かれたものではない。鳥獣戯画は、平成20年(2009)から4年かけて解体修理が行われ、その過程でさまざまな新事実も確認された。成立から八百年近くたつた鳥獣戯画の新たな謎解きへの一歩を踏み出す展覧会である。まずは、甲巻から見ていきたい。

国宝 鳥獣戯画  甲巻  紙本墨画  平安時代(12世紀) 高山寺

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鹿に乗る兎に水をかける猿。鹿は、甲巻のなかで擬人化されていない、数少ない動物の一つである。

国宝  鳥獣戯画 甲巻  紙本墨画  平安時代(12世紀) 高山寺

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弓をつがえる兎の表情は真剣そのもの。弓の調子を整える蛙の姿も見える。

国宝 鳥獣戯画 甲巻  紙本墨画    平安時代(12世紀) 高山寺

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扇を振り、なにやら差し招いている兎。その先には、次の会が続く。

国宝  鳥獣戯画  甲巻  紙本墨画  平安時代(12世紀)  高山寺

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兎が差し招く先(先の図)。その先には、荷物を運ぶ両陣営の動物たち。これは賭弓(とゆみ)の勝者に与えられる品だろう。

国宝  鳥獣戯画  甲巻  紙本墨画   平安時代(12世紀) 高山寺

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逃げる猿を追いかける兎と蛙。鳥獣戯画でも著名なシーンの一つである。

国宝  鳥獣戯画  甲巻  紙本墨画  平安時代(12世紀)  高山寺

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ひっくり返っている蛙。兎や蛙が取り囲むが、そこには緊迫感は感じられないように見える。

国宝  鳥獣戯画  甲巻  紙本墨画   平安時代(12世紀)  高山寺

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場面は一転、相撲のシーンへ。相撲はもともと秋に行われる神事だった。兎の耳に噛みつく蛙。禁じ手である。

国宝  鳥獣戯画  甲巻  紙本墨画  平安時代(12世紀) 高山寺

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甲巻の山場。蛙の本尊を前にした猿の法会。袈裟を掛けた兎や狐も読経している。涙を拭う老齢と思われる猿はまだしも、狐や兎、鼬は遊んでいるこのようだ。

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法会も終わり、猿にさまざまな供物が捧げられる。兎の持つ虎皮は貴重な舶来の品。

 

甲巻は四巻のうち最も知名度の高い巻である。甲巻には、兎、蛙、猿といった主要登場動物を含め、実に11種の動物が登場する。この三巻のほか、鹿、狐、猪、猫、鼠、雉、鼬(いたち)梟(ふくろう)で、いずれも、平安時代に日本で目にすることのできた動物たちである。これらの中で、鹿と猪、梟は擬人化されておらず、動物のままの姿で描かれている。その違いは二足歩行が可能か、あるいは二足歩行で描くことに違和感のない動物か否かという点に求められるかも知れないが、作画の論理の真意は不明である。「まず墨で描かれた素描による風刺画として、時代の新しい自由な雰囲気を感じさせるものがる。甲巻の内容は、猿、兎、蛙の中で一番負けた猿が、最も勝った蛙を殺し、その供養を猿僧正の下で行うという、ひとつの風刺が、画面に一貫した緊張感を与えているからだろう。詞書きもないままこれだけの風刺絵画を描けるのは相当な知的人物に違いないだろう。」(日本美術史全史)「甲巻は特に優れ、動物の姿態と、背景をなす風景や草木の配置がぴったりと調和し、なんら矛盾するところはない。濃淡の墨色の使い分け、細かく太くアクセントを変化させる線描のはたらきも、画家の統一的な意図になるものと思われる。」(絵巻物)甲巻の作者は、永らく、平安時代後期の天台僧、鳥羽僧正覚猷(かくゆう)(1053~1140)筆と伝えられてきた。鳥羽僧正は「古今著聞集」では「近き世にならびなき絵描き」と評されるなど、画技にも長けていたとみられている。ただ鳥羽僧正筆という説は近世以降に作られたものと解することができる。鳥獣戯画の制作圏に関しては、これまで二つの有力な説が提出されている。一つが、白線図像や仏画を描く、寺院に属する絵仏師だったとする説である。いま一つが主に世俗画を描いた宮廷繪所(えどころ)絵師だったとする説である。図録の中で土屋貴裕氏(東京国立博物館研究員)は、面白い仮設を述べている。それによれば「平安時代後期、絵画の制作と享受において、寺院と世俗が交叉するような場。そのような場こそ、鳥獣戯画が生まれた環境に相応しい」として、「一つの推測として”仁和寺”を一つの可能性として提示したい。仁和寺の門跡は天皇の子弟から選ばれ、世俗と寺院が交わるような場であった。」と述べている。出所の可能性としては面白い意見であるが、具体的な仁和寺にいた絵仏師ということであろうか。今後の研究が待たれる。私は、「黒川孝雄の美」で、仁和寺を近く取り上げてみたい。

(本稿は図録「鳥獣戯画 京都高山寺の至宝 2015年」、日経「おとなのOFF2014年10月号」、田中英道「日本美術史全史」、原色日本の美術「第8巻  絵巻物」を参照した)