[黒川孝雄の美」400回を書き終えて

「黒川孝雄の美」は、2014年1月2日に第1回「法隆寺 1 金堂」を書き始めて、

最終編を2018年8月27日に「敦煌莫高窟の美(2)」を第400話として書き終えて、約7年7ケ月の間に400話を書き、平均すれば7日に1回を書いた勘定になる。良く書いたものだと感心するが、「美術館」「寺院」等が私の高校生の頃から親しんだ場所であり、楽しく書くことが出来た。76歳から書き始め、86歳まで書いた勘定になる。コロナ禍のため、美術館に入り難くなり(事前予約、事前前払い)、私のようにヒマが出来ればフラリと入る自由入館組には、大変厄介な制度になり、最近は入りたい美術館に入れなくなり、かつ体力も衰え、無理が効かなくなり、どうしてもこれ以上続けることは無理となり、止むを得ず400回で終わることにした。残念だが、私としては止むを得ない結論である。さて、「黒川孝雄の美」は大勢の読者を得て、思いがけない話題となり、大勢の方が読者になって頂いた。ここに感謝の言葉を贈りたい。ー番最初に記事にしたのは「法隆寺 金堂 1」であり、2014年1月2日である。それ以来、7年7カ月に亘り、日本の寺院、日本で開催された美術展、タイの寺院などを書いた記憶がある。楽しい7年7ケ月であった。7年7カ月は、日数に直せば2,765日であり、その間に400話を書いたことは、平均すれば7日に1回の割で書いたことになる。原則として、美術展、奈良、京都、鎌倉のお寺を題材にしているため、お寺に興味の無い方には、随分「関係の無い話」となる。一番記憶に残る記事は、2014年1月4日に書いた「智積院  等伯一門の障壁画と名庭園」である。幸いこの記事は、お寺でも興味を持たれたのか、私の書いた記事が、智積院のその場所に、コピーされ、張られていたそうである。(親しい友人の話)嬉しい限りである。

私としては、美術展よりも、奈良・京都の古寺を話題にした方が,遥かに楽しかったからである。矢張り、大学時代から熱心に通った、奈良・京都の寺院の方が懐かしかったからであろう。時間をかけて楽しんだ場所の方が、記憶に残り記事にしたいものである。しかし、美術展も思い出深いものがある。日本の画家では、私は「青木繁」が好きである。「悲劇の洋画家」と呼ばれた「青木繁」の人生は、私に無い無頼の世界であり、全く異なる道を進んだ「青木 繁」に強く惹かれた。

また、これらの記事を書くためには、日本史、西洋史の知識、絵画、美術史の知識が無いと判断を誤ることになる。歴史や美術論を理解しないと、うっかり記事も書けないものである。そういう意味で、この「美」を書くためにどれだけ歴史や美術について本を読んだか知れない。これも私に取っては、大きな収穫であった。知識は、人生を豊かにし、人間を変える大きな要素である。また美術展や、古寺の記事を書くために、どれだけ多数の本を読んだ、判らない。1ケの書棚に収まり切れないた多数の読んでいる。これも人生を豊かにし、知識の枠を超えて豊かな人生を与えてくれた。

私の書棚を見た人は、その豊かな書棚に驚いて帰る。これは「豊かな人生」を送るための肥料となっている。私の書斎を訪ねた人は、すべて書棚の豊富な資料に驚く。私は経済学部を卒業しているが、この書棚の豊富な資料(美術、歴史、評論)には、大方の人が驚いて帰る。これも、「美」の執筆のお掛けであろう。私は毎年「  年「黒川孝雄の美」10点を選ぶ」という記事を書いている。これも1年間を振り返り、その年の「忘れえない10点」を書いている。1年分をまとめることも、いい勉強になる。やはり年齢と共に、興味も変わり、重点も変わって行く。7年7ケ月の間に、大きく変化する。これは私の長い人生の最期を飾るに相応しい、懐かしい、美しい思い出である。