2018年「黒川孝雄の美」10選

今年もまた、「黒川孝雄の美」10選を決める季節がきた。今年は、生誕150年とか歿後50年とか大きな美術展が多数開催された。なかなか生きたくても行けない展覧会もあった。いずれも力作揃いで、見応えのある内容であった。昨年は何故かお茶に関する展覧会が続いたが、今年は殆どなかった。その年の好みであろうか。中々十点を選ぶことは難しい。候補として26点が上がったが、結局次の10点にまとめた。

第1位「仁和字と御室派のみほとけ 御室派編」国宝 千手観音菩薩立像3月6日

私は、奈良国立博物館で一度拝観し、日本の仏像彫刻の最高峰であると評価していた。葛井寺(ふじいでら)は、大阪市の南部を流れる大和川と支流の石川の合流地点に位置する。畿内でも早くから開けたこの土地では、渡来氏族が集まり、5世紀には巨大な古墳が築かれた。その後は古墳に代わって、有力氏族の寺院が多数建築された最先端の地域である。この千手観音菩薩坐像は、頭上に十一面を戴き、胸前で合掌する手と像をまわりに半円形に広がる脇手とを合わせて1041本の手を持ち、各手の掌に眼が描かれる、十一面千眼観音菩薩坐像である。インドの初期密教が生み出した変化漢音の一つである。本像の作風はは天平年間(729~749)後半の作と考えられてきたが、奈良・東大寺の法華堂諸像と共通することが指摘されている。近年の研究成果により、法華堂の建立は天平年間の前半まで遡る可能性が高い。この像の製作年代は天平年間の前半頃とみるべきであろう。この像の大きな特徴は、千本の手が認められることである。正しくは1039本の手で台座の蓮華を象った部分が丸く円を描く構図で、脇手の美しさを演出している。奈良・唐招提寺の千手観音菩薩立像(国宝)は、本来千本であったはずであるが、今は953本の手が残るのみである。

第2位「生誕140年記念 木島桜谷 近代動物画の冒険」 寒月 4月2日

本作は大正元年(1912)の第6回文展出品最高賞に輝く作品である。森閑とした月夜の竹たぶ。降り積もった雪の上に足跡を残しながら、キツネが一匹、水を求めてさまよい出てきた。天敵に目配りしてか狷介そうな眼であたりをうかがっている。六曲一双の左隻端が幾分かすんでいるのは雪がやみ切っていないのだろう。横長の画面を生かした構図と配置である。色彩に乏しいモノクロ画面のように見えて、竹幹や木々には青、緑、茶などの顔料が薄く厚く筆跡を残して施され、見る角度によって鮮やかに浮かびあがる。林立する竹にはダークな群青の絵具を使い、さえざえとした冷たさと孤独感を際立たせている。凛とした空気が漲る絵である。この絵を見た夏目漱石は、次のように酷評している。(朝日新聞)「木島桜谷氏は、今年は”寒月”を出品しているが、不愉快な作品である。屏風に月と竹と、それから狐だか何だか動物が一匹いる。その月は寒いでしょうと言っている。ところが動物はいえ昼間ですと答えている。とにかく屏風にするよりも写真屋の背景にした方が適当な絵である」この時代ならではの酷評である。しかし、漱石の批判をよそに「寒月」は、この年の第6回文展で最高賞を取った。全国から出品された入選作186点中、主席であった。忘れ去られた名作を見ることが出来、私は非常に幸せであった。

第3位 江戸絵画の文雅  国宝 夜台楼台図 与謝蕪村作 11月21日

蕪村が最晩年、安永7年(1778)63歳から没するまでの5年間に描いたとされる作品の一つである。画巻を思わせる横長の画面は「夜台楼台雪万家」の題で始まり、その左に雪降る夜の街並みが続く。しかし描かれているのは、中国の山水画bで理想とされる雪に閉ざされた秘境では無く、京都の東山に似た、どこか懐かしささえ感じる、ゆるく優しく引かれた山並である。家々の窓には室内から漏れる灯火の代赭が施され、人々の生活の温もりが伝わってくるようである。俳諧を通じて、和漢の文学に精通した蕪村ならではの、雅と俗が融合した江戸中期を代表する名作である。

第4位 長谷川利行展(上) カフェ・パウリスタ      7月4日

本作は1911年に東京の銀座に開店した喫茶店である。大正期には各地に支店があった。下町を中心に徘徊していた利行がこの作品を描いたのは、浅草や神田あたりの店であったと思われる。素早いタッチによる黒、赤、青、緑、白とぴった色たちが絵具の存在感を主張する一方で、カフェには女給以外の人は見当たらない。多分、開店直後の客のいない時間帯に絵が描かれたのであろう。この作品は第3回1930年協会展に出品されたが、当時の下宿先に宿代代わりに預けられて以降、近年まで所在不明となり忘れられていたが、テレビ番組がきっかけとなり再び世に出てきた。額も無くかなり汚れた状態だったそうであるが、2009年度に国立近代美術館の収蔵となり、修復を経て当時の色彩を蘇らせた。長谷川利行の代表作である。

第5位 「ムンク展ー共鳴する魂の叫び(1)」 叫び    12月13日

この作品のもととなった体験は、「1892年1月22日、ニース」という年紀のついた日記に記されている。「友達二人と道を歩いていてー太陽が沈もうととしていたー物憂気分のようなものに襲われた。突然、空が血のように赤くなってー僕は立ち止まり、フェンスにもたれた。ひどく疲れていたー血のように、剣のように、燃え盛る雲ー青く沈んだ港湾と街を見たー友達は歩き続けたー僕はそこにたったまま、不安で身をすくませていたーぞっとするような、果てしない叫びが自然と貫くのを感じた」(手稿T2760「夢の日記」)この記述によれば、橋の上に立って正面を向いている人物は、ムンク自身ということになる。彼は自然を貫く叫び声のあまりの大きさに耐えられず、耳をふさいでしまっている。彼の体は、強い圧力を受けている。このように引き伸ばされて変形しており、頭蓋骨の形が現れているのは、彼が死の強力な力にさらされていることを示している。

第6位 岩佐又兵衛 浄瑠璃物語絵巻 浄瑠璃物語絵巻 重分第四巻(2)6月18日

重要文化財「浄瑠璃物語絵巻」がMOA美術館で公開されたため、それを見たさに熱海まで出かけた。内容は「山中常盤物語絵巻」同様、牛若を主人公にした古浄瑠璃の正本(テキスト)を詞書(ことばがき)として、その内容を絵画化した絵巻物である。金泥、銀泥をふんだんに使った豪華絢爛な巻物であり、重要文化財に指定されている。浄瑠璃は十五夜に酒肴の準備をさせ、二人は祝言を挙げる。いよいよ姫がなびく。一夜の契りを結ぶ牛若と浄瑠璃姫。

第7位 名作誕生 つながる日本美術(3) 士庶花下遊楽図屏風 江戸時代 伝岩田又兵衛作 5月29日

船を浮かべた大きな池の周りに、桜咲く春の一日をさまざまに楽しむ人々の姿を描きこんだ野外遊園図である。桜の下での乱舞、道行く女性の一行に声をかけて遊びに誘ういわゆるナンパの場面、扇を手にして舞う若衆を囲んで下り藤の紋のある幔幕の内で繰り広げられる野外での宴、座敷では将棋や囲碁、三味線に興じる人々を、建具を取り払った建物に配した邸内遊楽の場面も加えられ、江戸時代初期の風俗画によく描かれたテーマである。この絵は、岩佐又兵衛となっているが、又兵衛工房と又兵衛の共作ではないかと解説では説明している。「憂き世」を「浮き世」と転換させた発想は、桃山時代から江戸初期にかけて広まった思想である。又兵衛らの活躍した元和から寛永年間(1624~44)に至って、時代の先端を行く流行思想となった。この「浮き世」の思想をまさに絵に描いた、男女遊楽の情景が最も好まれて取り上げられている。それを後の、江戸の菱川師宣を元祖として誕生した浮世絵の先駆とみなすことはごく自然なことであろう。

第8位 横山大観展 夜桜 絹本着色 六曲一双 昭和4年(1929)8月11日

昭和5年(1930)にローマで開催された日本美術展覧会に出品した作品である。大観は出品作家の選定にも関わり、総代としてローマの展示や運営も任された。本作はローマがねらいだったから、大観は海外の観客にも理解されやすい主題と画風を選んだのである。色の取り合わせから室町時代のやまと絵などを意識したと思われるが、勿論伝統的なやまと絵とは全く異なり、余白も無しにモチーフを過剰に詰め込み華やかさを演出した、大観ならではの作品となった。

第9位 Re・加山又造典  春秋波濤 絹本採色 1966年  4月16日

この絵画は、国立近代美術館で何度も拝観した。この絵画と、別に3重のガラス板で紅葉の山、満開の桜、黄色い波の山、の3種での山を3枚のガラス絵に表現して、立体的に見せる工夫をした部屋があった。六曲一双屏風のひとつの画面の中に、満開の桜の山と紅葉の山、つまり春と秋の情景が一緒に描かれている。

第10位 横山崋山展 祇園祭歴図  江戸時代(天保6~8年) 11月5日

上下2巻、計30メートルの長さにわたって祇園祭の全貌を描きつくそうとした稀有の例の祭礼絵巻である。上巻は稚児社参に始まり、青山、そして山鉾二十三基が巡航する様子を丁寧に描く。下巻は後祭の山鉾計十基が巡航する光景を描き、三基の神輿が御旅所より祇園社へ還幸する様子、そして四条河原の納涼、祇園ねりものと実に印象的に描いている。本図は江戸時代後期以前の祇園祭の祭儀を知る上で欠かせない資料である。

(本稿は、「原色日本の美術全30巻、「探求日本の古寺 全15巻」高橋秀爾「近代絵画(上)(下)」を参照した)