国立西洋美術館開館60周年記念 松方コレクション(3・終)

1921年に渡欧した松方は海軍からドイツの最新鋭の潜水艦の設計図を密かに入手するよう依頼されており、パリでの派手な作品購入はそのカモフラージュであったとも云われる。実際、1921年8月頃に松方はドイツやスイス、北欧などを訪れて、ゴーガンなどのフランス近代絵画のほかに、ムンクなど北欧の画家の作品やオールドマスター、タペストリーなどを購入した。この時入手された作品群はすぐに日本へ送られたが、その輸送箱には各国が狙っていた潜水艦の設計図を紛れこませてあったのだろうか。これの作品は先にロンドから届いた作品群とともに、東京や大阪で披露されている。

鳥罠のある冬景色 ピーデル・ブリューゲル(子)作 油彩・板 国立西洋美術館

本作品は、ブリュッセルのベルギー王立美術館が所蔵するピーテル・ブリューゲル(父)の作品に基づいて、長男のピーテル・ブリューゲル(子)が手掛けた模写と見られる。ブリューゲル(父)の作品の人気は高く、エルツのレゾネ(1998~2000)には、ブリューゲル(子)作に分類されるものだけでも44点の模写が収蔵されている。2005年に当館に入った本作品は、エルツの模写は含まれていないが、ブリューゲル(子)による模写の中でも特に質の良いものに数えられるだろう。描かれるのは当時のフランドルの冬景色である。家々や教会は雪に包まれ、川を覆う厚い氷の上を人々が往来し、子供たちがスケートやホッケーなどに興じている。一見して、ただ穏やかな日常のひとこまが切り取られているかのように思われるかも知れないが、幼い子供がそり遊びをしている傍らには、氷が暗い穴を覗かせている。右手前の木の下に集う小鳥たちの側にも罠が仕掛けられている。これらのモチーフには、人の命の儚さ、運命のあてにならなさへの警告が込められているのである。

雪の中の労働者たち エドヴァルド・ムンク作 油彩・カンヴァス 1910年個人蔵

松方の取集活動が始まった第一次世界大戦中の1916年、それはヨーロッパに前衛の嵐が吹き荒れるようになった直後ーつまりキュビズムや未来派から表現主義やシュールレアリズムなどに至る芸術のラデイカルな諸実験が各地で沸き起こり、美術史上に決定的な地殻変動が生じた。その余波は松方コレクションにも影響を与えずには置かなかった。1912年にケルンで開かれた「ゾンダーブント展」は、総勢160人の美術家たちによってポスト印象派以降の国際的な前衛美術の潮流をドイツの地に提示した事例である。その際、100点以上を出品したファンゴッホに次いで約30点を展示したムンクに与えられた地位は特筆すべきものであった。ムンクは1890年代にベルリンを拠点に活動したドイツでは名の通った画家であった。ムンクは1910年代には「表現主義」の中心に位置付けられていたのである。1920年代のオスロ市庁舎のために構想された「労働者シリーズ」の中のモニメンタルな一作「雪の中の労働者たち」は、特筆すべき一作であった。当時、ベルリン国立版画素描館でアシスタントをしていたクルト・クラーザーが購入した。その後1921年に松方が購入することが決定した。ドイツにおける前衛美術の先駆的な作品の取集であった。

吸血鬼 エドヴァルド・ムンク作 カラーリトグラフ 1895~1902年 大原美術館

吸血鬼を表すこの多色摺り木版画において、ムンクの表現はほとんど抽象の域に達している。波面は主に弧を描く形態と、緑や青、黄土色や橙の色面からなる。女の吸血鬼と男をかたどる輪郭線と細部は、同モチーフを表す他のヴァージョンほどに明確にされていない。恐らく夜の森にのこるであろう彼らの周囲の環境は、緑と青の色面によって曖昧に示されている。図像としての描写と抽象的な形態とが緊張関係にあるようだ。換言すれば描かれたイメージの形態は、内容の単なる描写ではなく、むしろそこにには形態と内容の均衡状態と、強固な自立性が見出される。

「籠の中の花」ポール・ゴーガン作 油彩・カンヴァス 1885年 個人蔵

松方は1920年から1923年にかけ、タンハウザーのほかにパリに複数の画商、ベルリンのカッシーラ画廊から約20点のゴーガン作品を集中的に買い求めている。その中でも「籠の花」は画家のかなり初期の作品、すなわちアルルでファン・ゴッホとの共同生活に入る前、ブルターニュ地方に滞在していた時期の作品に分類される。ハッチングのような細かい筆致やモチーフの構造的配置には、当時交友のあったピサロやセザンヌの影響が垣間見える。画面上部、花籠の背後に塗り分けられた色彩は、あるいはその頃ゴーガンが感心を示し始めた日本の浮世絵版画の一部であろうか。それとも自作の一部だろうか。なお本作品と同構図の扇形図作品も存在する。

「神話の一場面」 ローデヴェイク・ファン・スホール/ピーテル・スピーリンクス(カルトン制作)18世紀初頭 絨毯(羊毛、絹) 国立西洋美術館(寄贈品)

1922年、大阪の毎日新聞社主催で開かれた「松方幸次郎氏所蔵泰西名画展覧会」には36点の絵画と2点のタペストリーが展示された。また日置とベルリンに滞在していた松方は「ドイツ旧王族」の売立に行って「30点近い油絵とゴブラン織りの壁掛け」などを購入したという。帝国海軍からドイツの最新鋭型の潜水艦の図面入手の密命を受けていた松方、こうして入手した美術品に図面を紛れ込ませてベルリンから密かに運び出したという真偽不明な逸話も添えられている。本作品では、緑滴る庭園に女性や狩人、花々が描かれ、オウイディウスの「変身物語」の一場面のような神話的主題が描かれていると考えられる。

「長椅子に座る女」 アンリ・マチス作 油彩・カンヴァス 1920~21年 バーゼル美術館

松方コレクションのうちパリを中心に入手された作品群は、一部日本に送られたものの、主要部分は、1920年代前後から第二次世界大戦初期に至るまで20年近くにわたってロダン美術館の旧礼拝堂に保管され続けた。諸経費を捻出するため、パリに残った日置氏は、松方の許可を受けてボナール、マチスなどの作品を一部売却した。1959年に日本へ返還された「松方コレクション」には、マチスやボナールもなく、モダーン・アートに対する松方の関心の低さを示しているようにも思われがちであるが、実際には相当数の作品が集められていたことになる。本作品は1920年9月末からの滞在時にフランス窓のあるホテルの部屋の中でアンリエット・ダリカレーモデルをモデルに描いた作品の一つである。カウチの傍らに無造作に脱ぎ捨てられた靴が気だるく寛いだ空気を醸し出す一方で、壁や床の赤とコントラストをなす鎧戸の青と人物像やカーテン、テーブルクロスの白さが、窓から差し込む明るく透明な南仏の光を巧みに表している。

自画像 藤田嗣治作 1926年  混合技法・紙  国立西洋美術館

1913年にパリに渡った藤田嗣治はエコールド・パリの画家たちと交流しながら苦労の末に独自の画風を作り上げ、1920年代のパリ画壇の寵児となった。1925年にレジオン・ドヌール勲章を受け、翌1926年にはフランス政府によって作品が買い上げられた。まさに藤田は画家として絶頂期にあった。おなじみの背中に猫が乗った自画像はこの頃にいくつも描かれている。また額の裏には、日置氏の手で「神戸の松方氏の所有、1936年9月16日・日置」と書かれた紙が貼られていた。

ページー・ボーイ ハイム・スーチィン作 油彩・カンヴァス 1925年 パリ国立美術館

エコールド・パリの画家たちの作品は松方コレクションの中でその制作時期の遅さからも異質な存在である。「ページ・ボーイ」は現在では1925年作、藤田作品は1926年作である。松方自身が購入するとすれば1926~27年の渡欧期となるが、この時の購入は殆ど知られず、荒荒しく表現主義的なスーチィンの作品がようやく評価を高めていくのは1920年代後半のことである。スーチンは、両大戦間のパリ画壇において表現主義的な画風で成功を収めた数少ない画家の一人である。彼はベラルーシ(当時ロシア帝国領)の主都ミンクスの近郊の村で貧しいユダヤ人の家庭で生まれ、リトアニアのヴィリニュスの美術学校で学び、1913年にパリに出た。パリではモンパルナスの集合アトリエ「ラ・リュッシュ」(蜂の巣)に住む外国人画家たちの仲間に加わり、特にモデリアーニと親交を結んだ。1919年から3年間、南仏のセレナに暮らし、荒ら荒らしい筆致と極端なデフォルメを特徴とする個性的な風景画や肖像画を制作した。1923年にアメリカの大取集家アルバート・バーンンズが彼の絵に眼を止めて作品を大量に買い取ったことから、一躍有名になり、エコールド・パリを代表する画家の一人として評価を確立するに至った。

睡蓮、柳の反映  クロード・モネ作 1916年 油彩・カンヴァス 国立西洋美術館

「睡蓮、柳の反映」は、オランジェリー美術館に設置されている「睡蓮」の大装飾画のうち第二室「木木の反映」に関連付けられる作品の一つである。柳の木がさかさまに映り込んでいる睡蓮の池の水面を描いたものであり、同様の構図はマルモッタン美術館、北九州私立美術館、地中海美術館などの所蔵品に見ることができる。モネが本作品については1922年5月4日付のベネデット宛の手紙で、モネが松方の購入後も未だアトリエに残されている作品として言及していることからも、画家から直接購入したことは確かである。本作品はロダン美術館で保存されていた1923年に、ジョルジュ・プティ画廊でベネディットの主導により、関東大震災の被災者のために開かれたモネ回顧展へ松方コレクションの他のモネ作品とともに出品される。本作品はロダン美術館に保管されたまま第二次世界大戦を迎えた。それらは、パリ解放後、フランス政府によって敵国人財産として接収された。現在、本作品はカンヴァスの上半分を決失した状態であるが、この損傷は恐らくこの疎開時代に生じたものであろう。接収作品リストには「破損作品」と記されている。それゆえ本作品は、返品リストから漏れたのであろう。本作品が持つ200×425cmという本来の寸法は、オタンジェリーの「木木の反映」を構成するふたつのパネルの寸法に等しい。また画家の手で、署名と共に「1916年」という制昨年が入っている点も重要である。この「睡蓮 柳の反映」は美術館と凸版印刷による共同事業として、本展での公開を目指して復元作業を進めたものである。(NHK日曜美術館で放映した)

 

松方コレクションの成り立ち、内容を細かく報告したもので、図録の冒頭論文「松方コレクション百年の流転」(陳岡めぐみ国立西洋美術館館長)の論文を引用した。是非、原典を読んで、館長の熱意を感じて頂きたい。)

 

本稿は、図録「国立西洋美術館60周年記念  松方コレクション2019年」、図録「国立西洋美術館名品集  2013年」を参照した)

開館60周年記念  松方コレクション(2)

1920年代の第一次世界大戦下のパリでは、松方はパリに拠点を置き、名作を次々と購入していった。この時期、パリにいた松方の部下日覆三郎、姪の黒木竹子とその夫黒木三郎夫妻、仏文学者成瀬正一夫妻のほか、美術史家矢代幸雄や洋画家和田英作ら多数の日本人が滞在していた。多分、これらの人々のアドバイスもあったのであろう。松方は次々と名作を買い集めた時代であった。

青い胴着の女 パブロ・ピカソ作 油彩・カンヴァス 1920年 国立西洋美術館

1912年8月31日に、タ・ベ通りのレヴィ画廊を見た松方、和田、矢代はボエシー通りのローザンベール画廊を訪れ、ここでポカソの作品を多数見ている。同年9月14日に、先の4人のほかに成瀬夫人を加えて5人で改めて同画廊を訪ね、ここでピカソの「青い胴着の女」を求めている。これは「新古典主義時代」のピカソ作品の特徴を良く伝えている。

ばら フィンセント・ファン・ゴッホ作 1889年  国立西洋美術館

ゴッホはフランス南部のアルル=レミから北部オーヴェルへと遍歴した生涯最後の2年間に、地に生える草花や、花の枝に咲く花々をクローズアップで捉えた作品をたびたび描いている。間近から見た小さな花の枝に咲く花々をクローズアップで捉えた作品をたびたび描いている。間近から見た小さな植物を画面いっぱい描く構図は、ゴッホ以前の西洋絵画にはほとんど例がない。そこには日本の美術の影響もみらえるが、根本には彼の宗教的な自然観がある。ゴッホはパリの2年間に浮世絵を熱心に収集し、その大胆な構図と色彩に魅了されたが、1888年創刊の「芸術の日本」に掲載されたサミェル・ピングの評論をアルル滞在中に読み、ますます日本の美術に共感を寄せるに至った。                      アルルでのゴーガンとの共同生活が1888年の暮れに破綻して以来、ゴッホは何度かてんかん性の発作に襲われ、1889年5月上旬に自分の意志でサン=レミの涼養院に移る。最初の数週間は外出を禁じられ、専ら病院の庭で写生会を行った。弟テオに当てた手紙の中に独立した「バラの茂み」を写生したと伝えている。これが本作であると考えられる。

アルルの寝室 フィンセント・ファン・ゴッホ作 油彩・カンヴァス 1889年オルセー美術館

1921年の9月14日に、松方ら5人がローザンベール画廊を訪れた。そこで「アルルの寝室」を発見し、購入した。「アルルの寝室」は3つのバージョンが知られている。明るい静けさに満ちた本作品は、サンレミの療養所で、母親のために描いたものである。この「アルルの寝室」は、戦後日本に返還するにあたり、フランス政府が、フランス国家に留置したもので、今回の展覧会のためにオルセー美術館から借り出した作品である。

扇のある静物  ポール・ゴーガン作 油彩・カンヴァス 1889年頃 オルセー美術館

松方がドリュエ画廊から買ったゴーガンは、1880年代のブルターニュ時代の作品に限られている。「扇のある静物」は日本美術に着想を得て画家自らが描いた扇肩作品が画中画をなす。この扇と画面右奥に置かれた陶器作品は「アレクサンドル・コーラ婦人の肖像」にも登場する。本作品は戦後もフランスに留め置かれ、現在はオルセー美術館に所蔵される。

ブルターニュ風景 ポール・ゴーガン作 油彩・カンヴァス 1888年 国立西洋美術館

大西洋に突き出たフランス北西部の半島であるブルターニュ地方は、19世紀後半にもケルト色の濃い古来の風習を残し、フランスにおける異郷といして芸術家たちの関心を引いていた。近代文明の及ばないこの素朴な世界に芸術の源泉を求めたゴーガンは、1886年夏に初めてこの地方を訪れて、この地方の村のポン=タヴェンを訪れて、この地方の村のポン=タヴェン を訪れ、独特の風土に魅せられた。彼は1888年11月末にこの村を再訪し、10月にゴッホの待つ南仏のアルルへ発つまで滞在した。次のような手紙を友人の画家に送っていたる。「私は静かに自然を眺めて暮らした。私はブルターニュが好きだ。ここには野生と原始性がある。私の木靴が花崗岩の大地に響くと、鈍く乾いた力強い音がする。それこそが私が絵画をに求めているものだ。細い筆致を並べた描写法は印象派の影響をとどめ、モチーフはピサロの農村風景を思わせるが、冬の野の侘しく荒涼とした雰囲気に独自の感性が現れている。

マネと婦人像 エドガー・ドガ作 油彩・カンヴァス 1868,9年頃 北九州美術館

1922年、コペンハーゲンの実業家ウイルヘルム・ハンセンの優れた絵画コレクsィヨンも一部購入する話が神戸の松方のもとに舞い込んだ。1923年初頭、松方は質の高い近代フランス絵画34点の入手に成功する。           妻シュザンヌがピアノに向かう姿を座って眺めていたマネを描いたドガの「マネとマネ婦人像」は、これを贈られたマネが妻の肖像を気に入らず、画面を切断したといわくを持つ作品である。のちにドガがマネ婦人の顔を描き直すために画布を付け足しが描き直されることがなかった。

積みわら クロード・モネ作 油彩・カンヴァス 1885年 大原美術館

モネはカミーユが遺したふたりの子供に、オシュデの妻のアリスとその子供たちを加えて新たな家族を形成しつつ、1883年にジヴェニールへ移住する。ノルマンディー地方南東に位置するこの小村でやがて数々のモネの代表作が生み出されることになる。「積みわら」は1885年に描かれた3点の「積みわら」のうちの1点で、モネの家の近くに広がる牧草地に積み上げられた干し草を描いたものである。単純な形と色彩を持つ積みわらに、モネは刻々と移り変わる光の効果を表すためのかっこうのモチーフを見出し、1884年から1886年にかけて8点を手掛けた。ここでは、さわやかに晴れ渡る空の下、光の効果で微妙に色を変える積みわらの影に憩うアリスと息子のミシェルが描かれている。背景にはポプラ並木が続く。この「積みわら」のモチーフが名高い連作に発展して1891年に発表され、大きな成功をもたらした。なお、本作品は松方旧蔵作品を多数所有している和田久左衛門の旧贓品の一つである。現在は、大原美術館に保存されている。松方コレクションを、やむを得ず手放した場合、多くが日本の西洋美術の美術館に保管された格好の事例である。

サン=マメス 六月の朝  アルフレッド・シスレー作 油彩・カンヴァス 1884年 ブリジストン美術館

サン=マメスはパリの南東イル・ド・フランスの村であり、セーヌ河とロワン河が合流する地点にある。シスレーは1882年9月にこの穏やかな自然に恵まれた小村に移り住みここを中心として多くの作品を制作した。青々とした緑が印象的な「サン=マメス六月の朝」は、1882年の第7回印象派展に出品されたもので、題名通り、初夏の爽やかな朝が描かれる。画面の片側へ向かって道と川が曲線を描いて遠のいていく伝統的構図だが、街路樹の茂りや対岸の植物、そしてそれらの緑が照り映える川の水面と、画面右手の建物のレンガ色が鮮やかなコントラストをなし、緊密な構図を作り出している。

収穫  カミーユ・パサロ作 テンペラ・カンヴァス 1882年 国立西洋美術館

この作品は、1882年の第7回印象派展の出品作である。オワーズ河を挟んでポントワーズの対岸にある麦畑を舞台に、収穫の後景が描かれている。地平線は画面の上の方に置かれ、横長の画面いっぱいに、麦の刈り取られた明るい緑色の畑が広がる。画面の左手前には、麦の束を腕に抱えて運ぼうとする農婦の姿がまじかに迫り、そこから画面の右上に向かって、畑に並べられた麦の束の列に沿って空間の奥行が表されている。1880年代初頭には、印象派の画家たちの多くが転換期を迎えていた。誰よりも印象派の美学に誠実であろうとしたピサロもその例外ではなく、制作活動の停滞を乗り越えるためのさまざまな試みをこの時期に行っている。この「収穫」は第7回印象派展の出品された作品の中で、唯一テンペラの技法を用いたものであり、彼のテンペラ画としては前例のない大きさをも持つことからも、この作品を通じて新たな方向を探る狙いがあったと考えられよう。この技法によって色彩の透明感を増し、油彩画とは味わいの違った、艶がなく乾いた感じのある絵肌が生まれている。

 

 

松方コレクションの中核をなす、コペンハーゲンの実業家ウイルヘルム・ハンセンの優れたフランス絵画コレクションの一部を購入するチャンスが神戸の松方のもとに舞い込んだ。スイスのオスカー・ラインハルトら各国のコレクターとの競合の中、パリのベネデットや成瀬らを通じて交渉の末、1923年初頭、松方は質の高い近代フランス絵画34点の入手に成功する。マネヤモネなど粒そろいの印象派絵画を中心とするこれらの作品は、いったんロダン美術館の旧礼拝堂で保管されたのち1930年代半ばまでほとんど日本へ送られ、」コレクション散逸期に多くが売却されていった。しかしながら現在それらの作品が、国内外、特に日本各地の美術館やコレクションの代表的な作品の数えられていることは、松方コレクションと、日本の西洋美術普及の歴史に残した足跡のひとつと言えるだろう。本編は、松方コレクションと、日本で売却され、日本の西洋美術館にかいそろえられた一部を表したものである。

 

(本稿は、図露「億立西洋美術観開館60周年記念 松方コレクション展 2019年」、図録「国立西洋美術館名作選」を参照した)