第Ⅱ部 美の選択 ーものは三顧の礼をもって迎えるべし
ものについておおく語らなかった安宅英一氏は、もの自身をして語らしむことを念んじ、それに委ねることを期していたように思われる。-安宅氏は、文章を殆ど残さなかった。
ー安宅コレクションの形成過程は、第1部で4期に分けて展開を試みた。必要な素材はそこに殆んど提示されている。第Ⅱ部では、さらにそれを補うものとして、安宅氏の言行を第三者として見聞したことをよりどころに、安宅氏の追い求めたものを辿っていくこととしたい。安宅氏の発言の中から、記録にとどめたいのは、次のようなものである。「三顧の礼をもって、ものを迎えなばなりません。」「人にお辞儀しているわではなく、その後ろにものが見えるのです。ものに向かっては、いくらお辞儀しても、し過ぎることはありません」、「人でも、ものでも、結局のところは品です。品格が大切です」、「何故、集めるのですか、と質問されたら、月並みですが、そこに山があるから、ということだけでしょうね」、「コレクションとは誰が持っていても同じでしょう」。これらの言葉だけが、針の孔から天をのぞくに似た役割を果たすだろう。ーこれらの言葉だけが、針の孔から天をのぞくに似た役割を果たすだろう。これらの言葉の意味するところは、やきものとは安宅氏にとって、精神的なものと深くかかわりを持ち、安宅氏自身の自己研鑽に直につながるものではなかったか、という推量である。収集する安宅氏の姿は、求道者の趣を帯びざるを得なかった。
重分 三彩貼花 宝相華文 壺 唐時代(7世紀後半)
唐三彩という呼び方で親しまれている三彩は、おもに洛陽や西安の周辺の貴族墓から出土している。この壺は華麗な唐三彩の代表的なもので、陶笵でつくつた円盤状の宝相華文が胴部の周囲に3ケ所貼り付けられている。
重分 青磁 鳳凰耳花活 龍泉窯 南宋時代 12世紀
砧形の本体に鳳凰の頭部をかたどった耳が左右につく瓶である。厚くかかった青磁釉は淡い青緑色に発色し、典型的な南宋時代の龍泉窯青磁の特色を示している。丹波・青山家の伝世とされる。
青磁 長頸瓶 銘「鎹」(かすがい)
南宋時代から元時代にかけて、龍泉窯で制作された青磁が日本に多数伝来している。ヒビの入った部分を補強するために、鎹の形をした金属が嵌め込まれている。この補修技法は明時代のころから中国で盛んにおこなわれた。
重美 青磁陰刻 蓮華文 三耳壺 高麗時代・12世紀前半
蓋の紐や肩の耳は、金属器の装飾を忠実に映している。この部分に紐を通して、蓋と身を固定したと思われる。線刻の文様はそれとは対照的に大変繊細で、少し離れると青磁釉に隠れて見えないほどである。
青磁陽刻 牡丹蓮華文 鶴首 高麗時代・12世紀前半
長い頸にちなんで日本では鶴首瓶と呼ばれているが、こうした器形の起源は中国・唐代の越窯青磁にさかのぼる。もとは金属器をモデルとするが、鋭利な角を落として甲羅青磁らしい柔らかな形となっている。
青磁逆象嵌 牡丹文 梅瓶 高麗時代・12世紀後半
高麗の象嵌青磁でも文様はなくその背景を象嵌した「逆象嵌」は珍しい。剥落しやすい白土を一面に象嵌し、躍動感ある蓮華文を引き立てている。文様の細部には陰刻が用いられている。口部は後補である。
青磁鉄地象嵌 草花文 梅瓶 高麗時代・12世紀
青磁土に鉄絵具を塗りつめ、青磁釉をかけて焼いた青磁の一種である。全面に大胆に文様が施されるとういう珍しい例となっている。
青花 草花文 面取瓶 朝鮮時代・18世紀前半
安宅コレクションの青花を代表する作例の一つ。京畿道広州金沙里窯址では、表面を削って多面体とし(面取)、顔料を惜しんで簡素な草花を描く青花が焼かれた。日本では風情ある趣から秋草手とも呼ばれる。
重分 三彩 壺 奈良時代・8世紀
奈良三彩は中国唐三彩の影響のもとに誕生した。その代表は世界最古の伝製品、正倉院三彩で、これらは仏教儀式用の調度品であった。本作は江戸時代、奈良県生駒郡で出土したと伝えられる火葬蔵骨器である。
長い「安宅英一の眼は(6)をもって終わる。大阪の東洋陶磁美術館へ行けば、一部を見ることができる。しかし全作品を見るためには、多分10回ぐらい通う必要があるだろう。すべて住友財閥グループが購入して大阪府に寄付したものである。
「本稿は、図録「美の求道者 安宅英一の眼 安宅コレクション 2007年」、図録「東洋陶磁の展開 1990年」を参照した)