北斎とジャポニズム展  北斎と風景画(2)

北斎漫画について、その成り立ちを説明しておきたい。漫画とあるので、現在のコミックを想想される方も多いだろうが、「北斎漫画」は絵手本の意味である。北斎は文化前・中期の読本挿絵での活躍もあって、門人の数は増える一方であった。しかし、門人のみを対象にした絵手本を出版することは困難であったのであろう。「北斎漫画」初編が出版されたのは文化11年(1814)で、北斎没後の明治11年(1882)までに15編が刊行されている。実に68年の歳月を要している。如何に、「北斎漫画」が人気を得たかが分かるであろう。なお「北斎漫画」は、現在も出版されており、15編の分冊もあるし、1冊にまとめたものもある。外国系ホテルへいくと、この1冊の「北斎漫画」が1室に1冊ずつ用意されていることがある。私が見た「北斎漫画」全一冊は6千円であった。因みに、版画で15巻にして36万円という高額品も出版されている。次に「富嶽三十六景」の出版は天保元年(1830)に広告が出ている。そして刊行が始まるのは、同じ年からである。宣伝文は様々な場所から望む富士山を描き別けたことを売り物にしており、富士というモチーフで統一した名所絵揃物であると謳っている。「富嶽三十六景の成功は、浮世絵にいろんな効果をもたらした。一つは名所絵におけるベロ藍(プルシアン・ブルー)と呼ばれた舶来の化学顔料の効果を証明したことである。もう一つは「異例の売れ行き」を示したことである。三つ目は揃物として、次世代に繋がったことである。西洋の受け入れ前に、日本の浮世絵の世界でも「富嶽三十六景」の果たした役割は大きい。

「北斎漫画」七編 葛飾北斎作  文化14年(1817)江戸時代(19世紀)

「阿波の鳴門」の渦巻を描いた北斎漫画である。モネは、この北斎漫画七編と、「富嶽三十六景」甲州石班沢の両者を保有していた。

ベリールの嵐  クロード・モネ作   1886年

モネが1886年にブルターニュ半島の付け根のベリールに制作旅行に行って高所から海を見下ろしたとき、「北斎漫画」七編の「阿波の鳴門」の構図が頭に浮かんだことであろう。画面いっぱいに荒れる海と岩だけが占めるこの構図は、波のエネルギーとそれに抗うかのような岩の存在感を表している点で、両者に深く共感している。

富嶽三十六景甲州石班沢天保元~4年頃(1830~33)江戸時代(19世紀)

甲州石班沢はまずベロ絵のみで色づけしている浮世絵であり、そのことでまず有名である。更に、漁師の頭を頂点に岩と投げ網のつなが二等辺三角形をかたちづくり、かつ遠景の富士と相似形をなす図で、幾何学的な浮世絵としても有名である。

ベリールの海  クロード・モネ作   1890~91年

水平線を描いた素描「ベリールの海」は、海に突き出た岩の形に関心を払っているという点で、「富嶽三十六景 甲州石班沢」の構図により近い。

おしをくりはとうつうせんの図 葛飾北斎作 文化初期1804~07)頃

尖ったオック岬、グランカン  ジョルジュ・スーラー作 1885年

点描で画面を構成する点描派(新印象派ーシニャニック、クロスなど)でも、浮世絵に対する関心は高く、繰り返し語られている。特に、この「尖った岬、グランカン」と「おしをくりはとうせんの図」の構図の類似は驚くべきものである。風変わりな波の形とそっくりの尖った岩、共通する水平線と、点のように表されれる空に舞う海鳥など。北斎の浮世絵はたとえば1833年のビングの日本美術展などで広く紹介されていた。

富嶽三十六景 神奈川沖浪裏  葛飾北斎作 天保元~4年頃(1830~33)

北斎の最も有名な作品で、むしろ日本の浮世絵の代表作であろう。従って解説の必要はないだろう。西洋ではグレート・ウエーブの名で親しまれている。

交響曲「海」楽譜  クロード・ドビュッシー作  1905年

クローセルと親しい関係にあったドビュッシーは、この北斎の有名な浮世絵を所有し、「海」と題した交響曲の楽譜に図像を転用した。グレート・ウェーブは、画家のみならず、音楽家にも、インスピレーションを与えたのである。

波  カミーユ・クローデル作  1897~1903年

クローデルはダイナミックな大波を彫刻作品で実現した。水浴の主題が持つ牧歌的雰囲気は、ここで自然の雄大さを前に影をひそめている。抽象的な波の形は、幻想的な波の形となり、日本美術の流麗で装飾的な波の表現となっている。

 

「エッフェル塔三十六景」  アンリ・リヴィエール作  1888~1902年

北斎の「富嶽三十六景」をはじめとした名所絵は、同一のモチーフで繰り返し描き、シリーズとして展開させるアイデアを西洋にもたらした。これに触発されリヴィエールは、パリ市内の各所から眺めたエッフェル塔の諸相を季節の移ろいのなかに描きだし、リトグラフ集「エッフェル塔三十六景」に仕立てた。1889年のパリ万博に向け、塔の建設が開始された1888年に本作も着手され、1902年までに36点が完成、500部限定の冊子として出版された。この絵は「13番 バッシー河岸より」と題された絵である。

富嶽三十六景駿州片倉茶園ノ不二 葛飾北斎作天保元~4年頃(1830~33)

西洋において、「富嶽三十六景」や「富嶽百景」の連作を持った意味は大きかった。ひとつの山の姿を様々な時間や角度から描く北斎の連作への意識は、日本の美術に無関心を装ったセザンヌにも、強く働きかけたと考えられる。1882年から断続的に同じ山を、表現を変えながら最晩年まで描き続けたことは、北斎の影響だったろう。(図録の意見)

サント=ヴィクトール山 ポール・セザンヌ作  1886~87年

量塊として認識されている西洋の山の風景をセザンヌが、このような輪郭線でとらえる表現は生まれなかったとと思われるし、1882年から断続的に同じ山を、表現を変えながら最晩年まで描き続けることもなかっただろう。比較的早い時期の、この絵においては、両側の外側から挿し出してくる枝や、対角線を組み立てたような平野の表現が、「富嶽三十六景 駿州片倉茶園ノ不二」に良く似ている。

サント=ヴィクワール山とシャトー・ノワール ポール・セザンヌ作 1904~06年

サント=ヴィクトワール山 ポール・セザンヌ作 1904~06年

いずれもセザンヌの最晩年の作である。この2作は、むしろ「富嶽百景」三編「武蔵野の不二」の抽象化された空間表現に近い.

 

日本の浮世絵が西洋美術に新風を吹き込んだジャポニズムは、古くから知られている。しかし、何故、北斎の作品が誰よりも多くインスピレーションを与えたのだろうか。私は、北斎の作品のバリエーションが豊富であったことだと思う。人物や植物、動物、風景など対称も多彩だし、版画から肉筆まで幅広い手法を自在にこなす技術である。特に、北斎には「北斎漫画」など絵手本的な作品が15編もあり、何でもありと言っても過言ではない。だから、盛んに参照、引用され、インスピレーションの泉になったのであろう。対象物への親密でユーモラスな視線、大胆な構図といった北斎作品の特質が、西洋の画家達の創作意欲を刺激したのであろう。

 

(本稿は、図録「北斎とジャポニズム  2017年」、読売新聞「特集 北斎とジャポニズム展特集」、図録「ボストン美術館 華麗なるジャポニズム展 2014年」、大久保純一「北斎」を参照した)