バベルの塔展(1)

東京都立美術館で、ボイスマン美術館所蔵の「バベルの塔」展が7月2日まで開催されている。オランダ絵画については、17世紀の南のルーベンス、バンダイク、北のレンプラント、フェルメール程度の知識しか持っていない私には、それより古いオランダ絵画を見るのは初めての経験であった。「初期ネーデルランド美術」とうたっているが、そもそもネーデルランドとはどの場所を指す言葉だろうか。図録の説明によれな、ネーデルランド(低湿地諸邦)は、およそ現在のベルギーとオランダに相当する地域であり、政治的に融合された地域ではなく、南(現在のベルギー地方)はフランス伯領、ブラバンド公領、北(現在のオランダ)はユトレヒト司教領、ヘルデルン公領、ホラント州、ゼーラント州が割拠していた。14世紀末以降はこれら所領の多くがハプスブルグ家の領土に組み込まれ、1543年にはハプスブルグ家出身の神聖ローマ皇帝カール5世が最後の州を征服し、17州の名で呼ばれる国家が創設された。しかしやがて各地域の伝統、法律、社会体制を犠牲にして中央集権制度を強化しょうとする皇帝の試みに抵抗運動が起こり、これらが特に都市部での反乱へと繋がっていく。低地諸邦はヨーロッパでも最も都市化の進んだ地域の一つだった。15世紀にはヘント(ゲント)とブリュッセル(ブリュージュ)、16世紀にはアントウエルペン(アントワープ)とブリッヘ(ブリュージュ)が最大の規模を誇るようになった。北部の諸都市、ユトレヒト、アムステルダムは遅れをとった。当然、宗教画が一番もてはやされたが、1500年頃になると、「奇想の画家」と呼ばれるヒエロニムス・ボスが最も有名な画家となり王侯貴族や富裕な貿易商が顧客となった。ボスは、大胆に自作に署名した最初のネーデルランド出身の画家となった。

放浪者(行商人) ヒエロニムス・ボス作 油彩・板  1500年頃

ヒエロニムス・ボスは、日常生活の風景を始めて絵に描いた画家の一人である。この絵でボスが描いたのは行商人で、背負子(しょいこ)を結んだものから判断すると、猫の皮と木の杓も商うようである。帽子に錐で糸を留めているから、靴の修繕もするのであろう。服がほころび、左右不揃いの靴を履いているには、貧しいからに違いない。この男は、背後の荒れ果てた建物で、金を使い果たしてしまったのであろう。鳥籠の中のカササギは、屋根の棟に刺した棹の先に掛るジョッキ、鳩小屋と白鳥のの看板とくれば、これは娼婦の家であることは一目瞭然である。男が宿から今しも出てきたところか、それとも通りすがりか、あるいは後戻りを思案中か、知る術がない。最新の解釈では行商人は男性一般を象徴する。男は誰しも、ありとあらゆる誘惑にさらされる。ここではそれがもっぱら色事にまつわる。絵が円形なのは、おそらく鏡を仄めかすのだろう。元々この作品は三連画の両翼の外側に描かれた2枚の絵であった。これら3練画は、おそらく19世紀に、いくつかに切り分けられた。両翼の外側の2枚の絵は接着されたうえで、切り詰められたに違いない。一部を切り取って八角形にしたのが誰であれ、「放浪者(行商人)」に当初から独立した作品として描かれたという印象を与えたいと願ったに違いない。

聖クリストフォロス  ヒエロニムス・ボス作  油彩・板  1500年頃

巨人レブロスは世界で最も力のある人に仕えたいと願い、危険な川を渡ろうとする旅人を背負い、対岸に送り届けていた。ある日、小柄な少年を向こう岸に連れて行くことになったが、歩むほどに少年の身体は重くなり、対岸に着くのがやっとのありさまであった。レブロスが少年になぜそれほど重いのかと問うと、世界と世界の創造者をともに背負ったからと返答があった。巨人はクリストフォロス(キリストを担う者)に改める。ボスは赤い外衣をはためかせ、大股で川を渡る巨漢の姿を描く。手にする杖から生える小さな葉は、少年が真に神の子であることを示すため、枯れ枝に生やしたものである。キリストの最古のシンボルの一つである魚が、杖に吊るされ血を滴らせている、これはキリストが十字架につるされて死ぬことを指している。隠者の背後の木には奇妙なものがこまごまと描かれ、たとえば巨大な水指しの頸部に第二の隠者と思わしき小男が立ち、灯をともしたランプを結わいたロープを枝にかけて狼煙にしている。水の周辺では、小男が蜂の巣に近づこうとする。木の根元近くに繋がれた狐の死骸は、別の木の枝に吊るされようとしている射殺された熊と同様、悪に対する勝利を示すものとも考えられる。色々と不思議な現象や物が目立つ絵である。このボスに倣った絵が沢山出品されていた。ボスの影響力が窺える。それは「ボスのように描く」という第5章にまとめられている。

野ウサギ狩り ピーテル・ブリューゲルⅠ世作  エッチング  1560年

この作品はブリューゲルが図柄を考え、自ら版刻した唯一の版画として名高い。手前の丘から峡谷超しに広々とした風景を望むことが出来る。前景に少人数の人の姿がある。ブリューゲルの緩やかな描写、無数の短い筋や点を伴う不揃いな線の扱いは当時としては珍しく、17世紀のレンプラントの作品に見られる自由なエッチングを予感させる。これによって素晴らしい光の効果も生まれた。

聖アントニュウスの誘惑 ピーテル・ブリューゲルⅠ世作  1556年

聖アントニュウスはエジプトの砂漠で隠遁生活を送った修行僧である。紀元356年に没した後、聖人として敬慕された。伝説によると、アントニュウスは悪魔が徳義に至る道を踏み外させよと企み繰り出すありとあらゆる誘惑に見事うちかった。悪魔の仕掛けるこうした誘惑は、画家の絵心を大いに誘う。この版画でブリューゲルは自らの想像力ばかりではなく、ヒエロニムス・ボスの得意としたモチーフの宝庫を存分に生かした最初の作品である。多くの作品には聖アントニウスを誘惑しようとする女性が描かれるが、ここでは木のうしろで楽器を奏でるひとりを除いて登場しない。何より目立つのは無論、川中に浮かぶ巨大な男の頭で、巨大な魚を載せ木まで生やして奇観をなしている。

金銭の戦い ピーテル・ブリューゲルⅠ世作  板版   1570~72年

「貯金箱よ、樽よ、金庫よ、いざ進め/この闘いも、すべて金と財産のため」。この版画の銘文の意味するところは明らかだろう。すべての悪弊の源は強欲にある。金欲しさのため、人々は我勝ちに烈しく闘う。半身を巾着、財布、金庫に変えた兵隊や騎士たちが、剣、短刀、槍をかざして互いに切り刻む。ユーモアと教訓が手を取り合い、画面にひしめくこの版画はブリューゲルの原画をもとに、作者の没後間もなくアントウエルペンのピーテル・ファン・デル・ヘイデンの手によって彫版され、ヒエロニムス・コックの未亡人により出版された。この作品は、ネーデルランドの交易の中心地アントウエルペンでは、商業、金融が栄えた。ブリューゲルはそうした活動をこの暗部ー強欲、蓄財、私欲ーを創意豊かに暴露し、笑い物にしたのである。しかし、私は、ここから逞しく資本主義が生まれたのだと思う。

バベルの塔  ピーテル・ブリューゲルⅠ世作  油彩、板  1568年

今回の展覧会は、この絵を見る為に、私は半日を費やしたのである。実に見事な絵であり、感激した。旧約聖書の冒頭に「創世記」がある。その中身は「アダムとイブの原罪」、「楽園追放」、「アベルを殺すカイン」、「ノアの洪水」、そして神話的部分の最後に当たるのがこの「バベルの塔」である。この物語の骨子は、思い上がった人々による「天まで届く塔」の建設を試み、その高慢さに立腹した神は「言語の混乱」により、互いの言葉を理解出来ないようにして全地に散らせたのである。「バベルの塔」は多くの画家によって描かれたが、ブリューゲルは2作を作っている。彼はイタリア留学の際に見たローマのコロッセイムは下書きになったことは間違いあるまい。旧約聖書が初めて印刷されたのは15世紀紀後半であった。以降、多くの画家がこれを描いたが、ブリューゲル以前は四角い低層の塔として描かれていた。ブリューゲルの描いた螺旋状の巨塔を目にした当時の人々は、さぞ驚いたことであろう。バベルの塔は、人間の高慢に対する教訓としての物語である。戒めを強調するため、神々の怒りが強風となって塔を崩壊させる様子を描く画家もいた。しかしブルューゲルはむしろ、物語の途中である塔の建設場面を描いている。ボイスマン美術館のシャーレル・エックス館長は「神の怒りよりも、人間が挑戦する場面を選んでいる」と話す。他の追随を許さぬブリューゲルの特徴は「マクロとミクロの統合」である。すなわち巨視的な視点に基ずく大胆かつ明快な構図とディテールにおける驚くべき細密描写が無理なく両立している。「バベルの塔」に描かれた人間の数は1400人に及ぶという。豆粒よりも小さい人々が描き込まれている。ブリューゲルは螺旋状に塔を描くことにより、まるで無限大に、塔が拡大できるように思わせる。兎に角、16世紀の絵画とは思えない壮大な「バベルの塔」である。

 

ブリューゲルの「バベルの塔」は、何故螺旋だったのか?この絵画のバベルの塔の巨大画面を制作した東京芸術大学大学院教綬の宮廻正明先生は「ブリューゲルが表現したかったのは螺旋のエネルギー」と分析している。「螺旋は無限に上昇する構造で、永遠の時間や進化の営みを含意します。塔が未完なのも、螺旋のエネルギーには終わりがないからでは」。バベルの塔は、人間の愚かさに神が鉄槌(てっつい)を下す物語である。天に届かんとする塔の建設を企てた人間への制裁ー。実はブリューゲルが絵の舞台にしたとされる当時のアントワープは国際貿易のハブとして盛期を迎え、建設ラッシュだった、とすると、この絵には人々の戒めの意図もあったのか。「確かに戒めの意もあるでしょう。でも鉄槌が下る前の良き時代をポジチブに振り返る絵、とも解釈できる」と、ボイスマン美術館のフリーゾ・ラメルツさんは語る。「宗教革命で価値観が揺らぎ、また、制作年のまさにその年、オランダではスペインから独立すべく80年戦争が勃発した。崩れるものへの警告であると同時に、人々が協力して作り上げるバベルの塔は、希望の象徴でもあったのではないでしょうか」と語る。

 

(本稿は、図録「バベルの塔 2017年」、図録「栄光のオランダ絵画と日本 1993年」、日経大人のOFF「2017年1月号」、朝日新聞号外「別摺り特集」、岡崎邦彦「繁栄と衰退」を参照した)