私の履歴書(2)  黒川孝雄  

中学校時代(旧制)

私は昭和21年4月1日に(旧制)津島中学校に入学した。私の父も、兄も津島中学卒で、いわば黒川家の定番中学校であった。1年生の生徒数は220名であったと記憶している。私の小学校からの受験者は4名で、合格は2名であった。当時の津島中学は決して優秀な中学校ではなく、ごく普通のレベルの中学校であり、その中学校に半分しか合格しなかったのは、如何に永和南小学校のレベルが低かったのかを証明している様に思う。但し、名古屋から疎開してきた人達は、名古屋の有名中学校を受験し、合格している。従って、津島中学への受験成績が悪かったとは言え、小学校のレベルが低かったとは一概に言えないだろう。

さて、私の入学した成績は、220名中120番程度であり、正に中の中という成績であった。後年、親友となる山中君は200番(本人から聞いた話)、津金沢君は2番(私の記憶)であった。思えば、中学校の劣等生と優等生の組み合わせが、後年、高校3年生の実力試験で1番~3番の実力を競う中となったのである。

津島中学校の校門

津島中学生の記憶はあまり無い。戦争に敗れ、満足な教科書も無く、先生も代用教員が多く、あまり優れた教育を受けた記憶は無い。私自身の勉強は、英語、国語、数学には熱心であった。特に記憶に残る授業は、2年生の時の藤井先生による「東洋史」の時間である。1週間に1時間、1年間続いた授業であるが、これが一番記憶に残る授業であった。「東洋史」というテーマであったが、事実上は「中国史」のみであり、「朝鮮史」「印度史」には、全く触れない「東洋史」であった。しかし、ここで学んだ「東洋史」は生涯の記憶に残った。以来、高校でも大学でも「東洋史」または「中国史」という科目は受けたことが無かった。後年、社会人になったから、「中国史」「朝鮮史」は、美術を理解するために、熱心に本を読んだが、やはり基本になる知識は、藤井先生の「東洋史」の記憶が一番である。藤井先生の学恩に心から感謝したい。

私自身は、あまり目立たない、特別優秀でもなく、さりとて特段の劣等生でもなく、ごく普通の目立たない生徒であったと思う。特に勉強したのは英語であり、英語については常にクラス一番を目指し、ほぼその通りの結果となった。3年間の成績を自分で採点すれば、上の中位の成績であったと思う。親友は山中君、津金沢君、清水君の3名であった。清水君は洋服屋の長男で、高卒で祝った。彼は小遣いをふんだんに持っており、新刊本を良く買って、自分が読む前に私に読ませてくれる、真の親友であった。お陰で井上靖や阿川弘之、阿部公房、大江健三郎など新進作家の作品を一番最初に読ませてくれて、文学好きの私を満足させてくれた。そのお礼をどれだけしたか、不安である。本人は亡くなり、今更お礼を申し上げ、新刊本を献上する機会も無い。一度、私の大学時代に、室生寺を案内したことが唯一のお礼とった。清水君には今でも恩義を感じている。

私の家には、父親が買った「明治・大正・昭和文学全集」全60冊が全巻揃って門の近くの建物の2階にあった。誰も知らない場所に、全く読まれないまま保管されていた。これが文学に飢えていた私を強く引き付けた。昭和の初め頃、「円本時代」と呼ばれる時代があり、いろんな全集が1冊1円で販売されていたそうである。その円本の見本とも言うべき「明治・大正・唱和文学全集」全60巻が手つかずのまま、私の目の前に現れた。小学校5年生で本に飢えていた私は戦中で新刊本は全く手に入らず、友人の家で「家の光」や、古い時代小説を借りて読んでいたが、文学書は全くなく、この全集を発見した時は、実に宝物を発見したような気持ちであった。

全集は明治時代の仮名書露文(かながきろぶん)から始まり、文学者の名前を知っているのは第15巻位からであった。しかし、読書欲旺盛な私は第1巻から第60巻まで一気に読んでしまった。多分半年ほどかかったであろう。全部読んで、これでは駄目だと思い、作者別に好きな作家を選び、好きな作家を選び、好きな作家の本を繰り返し読むことにした。この文学全集を全部読んだことは私の大きな武器となった。殆ど誰も知らない日本文学の明治の初期の作家を読んだことは、多分「文学部」の学生さんよりも私の方が沢山読んでいると思う。

一番、何回も読んだのは黒岩涙庚も「嗚呼無常」であった。何のことは無い「ジァンバルジャン物語」であったが、音白くて面白くて、夜を徹して読んでしまい、多分50回以上飛んだと思う。金が無い、新刊本が無い時代は、古い本を繰り返し読むことが肝要であった。それから面白かったのは、島崎藤村、夏目漱石、白樺派作家などに強く惹かれた。読んでも読んでも中々読み切れない全集に出会えたことは、文学に飢えていた私に大きな影響を与えた。森鴎外、幸田露伴、国木田独歩、永井荷風、二葉亭四迷、田山花袋、樋口一葉など明治文学でも、面白い作家が揃っていた。

小学校高学年から中学生にかけて、文字に飢えていた私は、暇さえあれば、この文学全集を読み耽っていた。本が売っていない時代は良いことであった。どんなに古い文学全集でも2回~3回と読む程に理解が進み、分かって来るものだ。この宝庫のような文学全集は80歳を過ぎた私にも、良い思い出として残り、私の人生の中で一番本を読んだ時代であった。読書に飢えることは、素晴らしい体験であった。お陰で私は、15歳くらいの時には思いがけない知識を発揮することもあった。社会科の先生(氷室先生)からコ・エドケーションとは何かと質問され、答えられたのは私一人で「男女共学」と答えたことを覚えている。また新憲法の中に出てくる天皇の地位について、「象徴とは何か」と問われ、英語の「シンボル」の日本語で、天皇の地位を示す新憲法上の位置づけであると答え、非常に褒められたことを覚えている。要するに、あまり熱心に勉強する生徒ではないが、本をよく読み、田舎の中学生にしては、世間のことを良く知っている生徒として記憶されたと思う。

中学校時代の最大の思い出は3年生の2学期から男女共学が始まったことである。すぐ目の前に女子生徒がいることは何と素晴らしいことであったか、まるで昨日のように新鮮に覚えている。

さて私の中学3年生の頃の成績は、英語・国語・社会にはベラボウに強い反面、体育、理科、数学ではごく普通の成績であり、多分400名中(共学のため200名ほど増えている)20番程度ではなかったかと思う。決して良い成績ではないが、入学時の120番よりは増しな成績であった。父を小学校6年生で亡くし、農地解放、財産税、旧円無効など、様々な占領政策に翻弄されて、非常に経済的に苦しい時代であった。